発掘:1951年2.28、3.7事件㊦/教職員組合のアピール文に記された、その惨状
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「東京朝鮮中高級学校10年史」に記された二つの事件
*前後の「東京朝鮮中高級学校10年史」に引き続き、東京都朝鮮人学校教職員組合のアピール文に記された、二つの事件の全貌を紹介する。
2・28―寝込み襲い教材などを持ち去る
土足で女子寮に侵入
…去る二月二八日午前六時半、突如朝鮮人高等学校に武装せる警察予備隊五二〇名、私服刑事六〇名が押し寄せ、教室のガラス窓を破損し、土足で寮内に進入し個人的な職員の引き出しをかき乱し、一部の警官は酒気をおび、女子寮においては女子学生をからかうなど、全く学園の神聖をけがすような行為をしました。
かれらの口実は一高校生を、彼等が或る場所で拾ったという反戦ビラの所持者だとこじつけ、個人的な家宅捜査の為にこの大部隊を動員したというのですが、吾々にはこのような個人的ことがらをその筋の長である教育庁及びに校長に一言の断りもなく、而も泥棒の如く子供たちの寝込みを襲い、生徒の教科書、宿題、答案、教材、作品及びエンマ帳までも持ち去る如き不法ぶりには憤激せざるをえません。
3・7―警官三千人がなだれ込む
「朝鮮人なんかみな殺しだ」
三月七日朝鮮人中・高等学校では、去る二月二八日の事件について父兄の不安をとくためにPTA総会が開かれました。ところが九時半ごろから五〇〇名余りの警官が父兄達の入場を妨害し始めました。それに憤慨した父兄との間に小ぜりあいが起り、父兄の中から若干の検束者、負傷者を出すに至りました。それまで授業していた生徒たちはPTA総会を無事に了らせるために校内で警官に抗議しました。この間に警官隊は続々と増しつつありました。父兄会は無事に終了し、父兄達は引き上げてしまったので、事態収拾のため職員会が開かれ、あらゆる困難を排除して授業を行うことを決めた時、突然警官隊三千名はピストルが一挺なくなったからそれを捜査するという口実の下に校内になだれ込み、生徒をなぐるけるの大暴行を加え、授業に誘導しようとした教師にまでも、「教師が何だ、問答無用だ」、「国家権力に文句があるのか」、「朝鮮人なんかみな殺しだ」とどなりつけ、背後から棍棒で押しまくりなぐりつけ、「帰れ、帰れ!」とどなりつけながら泣き叫ぶ生徒達を学校から完全に追い出しました。それだけではなく、負傷者収容にかけつけた自由病院の医師までもなぐりつけられ重傷を負い、この実情をうつそうとしてかけつけた日本ニュースのカメラマンは、撮影中警官にカメラを壊され、半身不随になる程なぐられました。
二月二八日には個人的捜査の名をかりて、全校を教育庁や校長の許可もなく踏み荒し、さらに三月七日にはこのような不当極まりない横暴ぶりを発揮し、生徒の中から重軽傷六〇名(危篤三名)及び検束者六名を出し、日本教育史上にかってない弾圧を行ったものであり、吾々は日本人といわず朝鮮人といわず、教員といわず生徒といわず、この暴挙を永久に忘れないでしょう。48
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