4.24教育闘争から70年 奪われた学びの機会
スポンサードリンク
スポンサードリンク
「4・24」ゼロ年の兵庫をゆく
李英哲
또다시 온다 4・24의 날 피에 물드린 원한의 날이
4천년 긴긴 민족의 말을 배우는 자유 빼앗던 날이
ふたたびやってくる4・24の日、血に染まった怨恨の日が
四千年の長き歴史を持つ民族の、言葉を学ぶ自由を奪った日が…
去る二月二三日早朝、総連中央会館に五発の銃弾が撃ち込まれたその日の朝、私は偶然所用で出張先である兵庫へと向かっていた。襲撃の速報に覚えためまいがなかなかやまないまま、やがて新幹線が大阪・兵庫へとさしかかると、覚えず「4・24의 노래(4・24の歌)」のメロディがよみがえってくる。
おりしも数日前である二月一五日、兵庫県は県下朝鮮学校への補助金を1/2カットすると一方的に通達してきた。すでに二〇一四年には1/8、一七年度より1/5削減、神戸市、姫路市なども県の「基準」に準じて経常費補助金を削減し、じわじわと朝鮮学校への圧力をかけてきたが、ここにきて一気に半分削減というところまで踏み込んできた。神奈川県に続き、お次は全国的にはまだ比較的補助金が出ていた愛知や兵庫におよぶのではないかという悪い予感がいよいよ的中した形だ。それも、これまで表立ててはこなかった、教育内容や教員の資格云々という理由付けをもっての削減である。しかも、「4・24」阪神教育闘争から七〇年を迎えるこの時期に、だ。
「4・24」から七〇周年を二か月後に控え、そんなさなかに阪神地方へと向かいながら、七〇年前の弾圧と闘争のさなかで起きたさまざまな出来事について思いをはせつつ、朝鮮学校弾圧と、朝鮮人団体へのまがまがしいテロ、ヘイトの暴力への、一種の既視感にとらわれていた。「또다시 온다(ふたたびやってくる)」というフレーズが頭の中をかけめぐる。総連中央会館に撃ち込まれた銃声は、あるいは金太一少年を撃った銃声ではなかったか?――そんな身震いするような錯覚にふと襲われる。無論、筆者が七〇年前に生きていたわけでもなければ「4・24」を直接体験したわけでもない。だが…「神戸市へはいってくる朝鮮人を片っぱしからつかまえた」という当時の神戸市警局長の談が頭をよぎり、ふたたび身震いして思わず車内を見回す。バカバカしい警戒心だろうか? しかし、「歴史的トラウマ」は集合的記憶となって、時と場所を越え、世代を越えて継承されているのだ。
「戦後」唯一の非常事態宣言が布かれ、大規模な朝鮮人検挙作戦が展開された戒厳令下の神戸市。手あたり次第拘束され、朝鮮人活動家たちがひどい暴行を受け、当時朝連兵庫県本部委員長・朴柱範氏が犠牲となり、朝鮮学校に二百万円を寄付した老人が、「復員帰りのバリバリした」若い警官たちから「終戦当時」の復讐さながらに警棒で殴打された…。「戦後日本=平和と民主主義の国家」が虚像であること、「戦後」にも戦争と植民地支配が継続したことを、神戸は、「4・24」は雄弁に物語る。それはまた、米国の冷戦戦略と朝鮮半島の分断、やがて戦争へと発展する大きな流れのなかで起こった出来事でもあった。七〇年前の同じ二月には南朝鮮で「二・七救国闘争」など単独選挙反対闘争がたたかわれ、済州島では「4・3人民蜂起」が起こる。分断を持ち込む暴力と戦争は、そのまま日本に残留していた朝鮮人にも連動していた。神戸市で朝連(在日本朝鮮人連盟)活動家逮捕での建青(朝鮮建国促進青年同盟。朝連に対抗したて結成された右派青年団体)の「活躍」ぶり、「朝連のいうことは聞かないで、建青と警察のいうことを聞くか、南鮮(ママ)単政(注:南朝鮮単独選挙)を支持するか、そうすれば解放してやる」とせまったという彼らの言葉。その裏で、朝鮮戦争が準備され、日本は再軍備へと……――さて、これらは、はたして七〇年前の出来事なのか?
在日朝鮮人の脱植民地化たる民族教育を否定し、朝鮮学校を閉鎖し、朝鮮人団体を軍靴でぶっつぶした暴力は、今日も繰り返されている。朝鮮半島の分断固定化と戦争を煽る米国と、追随する分断勢力、そして日本。植民地主義的な差別意識丸出しの理由で「北朝鮮」を悪魔化し、朝鮮学校をいじめ、総連を苦しめる。排外主義を煽り軍事化の道を着々と進める日本。ただ傍観しているならまだしも、同じ民族ながらすすんでその片棒をかつぎ、さらなる分断へと加担する悲しき「同胞」たち。一九四八年当時の状況は、手を変え品を変えつつも、七〇年後の今日と酷似しているではないか。半世紀以上を経てなお、「戦後」ゼロ年、と誰かが痛烈に言う。ならば、あえて「4・24」ゼロ年と言ってみてもよかろう。「4・24」は決して過去ではない。「4・24」が、「또다시 온다」。くり返し、くり返し。
그러나 보아라! 그러나 들어라!
우리의 머리위 새기발 날고 우렁찬 어린이 소리 들린다
모든 억압을 박차고 나가는 우리의 어린이 구두소리 들린다
しかし、見よ!しかし、聞け!
われらの頭上には新しい旗がなびき、けたたましく子どもたちの声が聞こえる
すべての抑圧をけちらしてゆく われらの子どもたちの、靴音が聞こえる
「4・24の歌」は、だがこう続く。頭上になびく新しい旗、すなわち朝鮮民主主義人民共和国創建も「4・24」と同じ一九四八年の九月であった。共和国建国七〇周年の今年、分断固定化七〇年の歴史を終え、新たな統一時代へと向かう意志とその驚くべき破格的で迅速な行動を、朝鮮政府は年始から世界に誇示している。平昌冬季五輪での南北融和の動きと統一ムード一色の祭典に鼓舞され、補助金削減の深刻なショックに見舞われ対応に追われながらも、兵庫のハッキョたちは、決してうつむいてはいなかった。
今回の兵庫滞在期間、県下六校の各級学校をすべて訪問したのだが、いずれのハッキョでも、明るく元気な「子どもたちの声」「子どもたちの靴音」が高らかに聞こえた。
補助金削減について兵庫朝鮮学園の説明を聞く機会があったが、確かに財政がたちまちひっ迫する深刻さを直視しつつも、県議会、外国人学校協議会への働きかけ、カナディアンスクールやインターナショナルスクールなど他の外国人学校もこのたびの朝鮮学校に対する削減には異を唱えていること、さまざまな協力団体との連携共闘で、朝鮮学校の権利獲得運動を組織するとともに、学校支援事業をより広範に展開していく態勢を整えていた。
伊丹初級学校オモニ会は、おそらく全国一のキムチ販売を誇るだろうと校長先生が胸をはる。小さな規模の学校でオモニ会はキムチ販売だけで年間一〇〇万円を毎年学校に寄付してきたが、現下の状況で、校長が三〇〇万円以上を願い出たところ、二つ返事で「わかりました、やります」という頼もしい答えが返ってきたという。また同校のアボジ会も最近活発に学校支援事業にいそしんでいる。地域同胞全体で学校を守っているムードが感じられた。
西神戸初級は創立七〇周年を機に、懸案だった耐震工事を終え、以前とは見違えるほど外装から内装も明るくきれいに変わっていた。このハッキョの一階には、デイサービス施設「コリアン生活センター・イオ神戸」が入り、職員たちのための託児所も設置されている。デイサービス施設が学校内に併設されているのは、東京第四初中に続き、全国で二番目だという。「一世から四、五世まで。言葉通り、ゆりかごから墓場まで」地域の同胞たちが学校に集うと校長先生は話す。幼稚班の児童たち、初級部生徒たちの元気な姿を、ハラボジ、ハルモニたちが見守っている。日本人の高齢者もいる。多文化共生をかかげる神戸市・長田地域で、市民団体や近隣の小学校との交流、協力関係も厚いと聞いた。週三~四回の学校給食をまかなっているオモニたちが、筆者が訪れた日も昼食の準備にいそしんでいた。一九四八年四月二三日、神戸市内の三校中、灘、東神戸が閉鎖されたが、長田区神楽小学校内にあった西神戸朝聯初等学院だけは閉鎖できなかった。同胞、父母たち、生徒たちが学校に寝泊まりして警察を追い返したという。そこから西神戸ハッキョは「4・24の故郷」と呼ばれている。まるでその時の姿が重なるような、高齢者たち、父母たち。あの有名な「輝かそう4・24!守ろう民族の魂!」が刻まれたプレートが、塗りなおされたハッキョの柱に誇らしく掲げられている。かつて「4・24」を体験したはずの高齢同胞たちを2世3世たちがいたわり、その後代、末裔たる今日の児童たちが学ぶ姿に、胸に熱いものがこみあげてきた。
そして兵庫青商会は、今年九月の「ウリ民族フォーラム2018in兵庫」開催に向けて、すでに活発に計画をすすめている。「二〇年後の未来のために」というテーマを掲げ、兵庫同胞社会と民族教育を守るため何をすべきか、何ができるか、毎晩のように実行委員たちが集まり、議論し、実践企画を進行中だ。なかでも目玉企画である「BECAUSEプロジェクト」。これは兵庫民族教育の新しい宣伝戦略、兵庫ウリハッキョのブランディング計画であり、まず神戸朝高から先行して、青商会とのコラボによる斬新な宣伝物や教育実践企画が実践されている。青商会メンバーも、神戸朝高の教員たちも、そして何より朝高生たちが、BE—ing(民族、自己存在の確立)/CA-lling(時代の呼び声、「志」)/USE-ful(役立つ、有能な人材に)という新たな三つのコンセプトを合わせた「BECAUSE」を合言葉に、朝鮮学校である「理由」「根拠」を、朝鮮学校「だからこそ」の価値を見つけ、また新たに創出して宣伝しようと盛り上がっている。民族教育をとりまく現状が厳しくとも、若い世代が力を合わせ、時代にあわせ、若い保護者層のニーズにこたえながら、学校をもっと素敵に作り替えていこうというムードとエネルギーが充満している。これこそ今日版「그러나 보아라! 그러나 들어라!」の精神だ。その精神は脈々と受け継がれ、こうして実践されているのだ。
教育闘争の4・24
年々歳々その魂は決して忘れられはしない
朴柱範先生が獄中で詠まれた詩の一節である。七〇年の時を経ても、七〇年前と同じような状況が立ちはだかろうとも、決して忘れられはしない「魂」が、兵庫には確かに息づいている。現下の状況における兵庫の民族教育運動、そして青商会主催のウリ民族フォーラムは、兵庫の同胞たちをふたたび結集させ、ウリハッキョを守り抜くための、「4・24」のたたかいの継承そのものとなるだろう。
ちょうどこの原稿を書いている間にも、南の大統領特使がピョンヤンを訪れ、四月に南北首脳会談が行われるという破格的なニュースが届いた。七〇年前の四月、分断を阻止するための南北連席会議が行われたことをとっさに思い起こす。七〇年後の同じ四月、分断を越えて、統一へと向かう新時代が開かれる予感に胸が高鳴る。どこで読んだかうろ覚えだが、平昌五輪に参加した総連応援団を出迎えた南の人のある言葉を思い出す。総連の同胞たちがウリマルを話し、堂々と自分たちの存在を誇示し、統一への思いを語る姿に感銘を受けて、彼は次のように話した――「本当に、総連の同胞たちは、統一を立派に準備されましたね」と。
そう、ウリハッキョは、まさしく統一を準備する教育でもあり運動そのものなのだ。だからこそ、私たちはその砦であるハッキョを守り抜かねばならない。これ以上分断されてはならないのだ。ハッキョを中心に、同胞たちが集い、力とお金と知恵を合わせて、ウリハッキョの精神そのものである「トンイルタンギョル(統一・団結)をもっと実現していかねばならない。「4・24」の歴史とたたかいの精神を受け継ぎ、やがて、七〇年前に果たせなかった統一と平和という、子どもたちの輝かしい未来を、いよいよ迎えようとせんがために。
(り・よんちょる 朝鮮大学校外国語学部教員)
スポンサードリンク