感謝を胸に 共和国、総連の正当性示していきたい
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知らなかった地元の現状
金論議の過程で考えたことは?
文委員長正直、卒業生でありながら、赴任するまで栃木の状況を全くわかっていませんでした。生徒・児童が一一人というのも、「そんなに少なかったんだ」という感じでした。新入生がいないという話は聞いたことはあったのですが、久しぶりに一年生が入学したと聞いて、改めて現状を知ったというか。ところが保護者たちや同胞には当事者意識の高い方が多くて、気持ちが引き締まりました、専任の活動家として役割を果たさなくてはと。栃木の朝青活動家なのですが、青商会の専任活動家はいないので青商会の集まりにもよく出ました。青商会のチャリティーゴルフや学校支援活動に込められた同胞たちのハッキョへの思いを生かすために、自分は何をできるのだろうかと、そこで話された内容を整理したりしました。
金いろいろな思いが交差してかなり追い立てられた感じでしたか?
文委員長常に切羽詰まっていました。いつもいっぱい、いっぱいでした。今も感動をもらった人たちへの感謝の気持ちが冷めないようにと、「まだ足りない」という思いにいつも背中を押されています。
金今回の行事でどんな立場で、どのように活動しようと心掛けたのですか?
文委員長「ウリ マウム モア」というスローガンを具現するために、まず実行委員たちの「ウリ マウム」を一つにしなくてはいけないし、同胞たちの「マウム」を一つにしていかなくてはいけない。そのためにどういうふうに宣伝して、活動してけばいいのか、紡ぎ合わせていくという、自分ができていないことを実行している同胞たちが多かったので、もっと頑張らなくてはといつも刺激を受けていました。
金実行委員会の中での朝青の役割をどのように考えていましたか?
文委員長まず朝青の役割は、提案されたことはどんなことで率先してやるということでした。60周年のスローガンが「これまで歩んできた60年、これから歩んでいく60年」ということでした。これからの60年のためには若い力が必要になります。
金潤滑油のような?
文委員長はい、常に走っていなくてはいけない役割だと、朝青だからこその役割は体力を使ったり、頼まれごとに対しては無条件実行したりという。できないというよりはなんでもやってみるというスタンスで。今回は文書や映像をファイル化するという作業が多かったです。今回の60周年事業では、何かをやったというよりは同胞たちの心を具現するのに、尽力したという感じです。
栃木の卒業生でありながら足利、宇都宮、北関東を経てきたハッキョの歴史を知らなかったので、七〇年六月一五日に小山に学校が建てられたという歴史に直面した時に、ただ自分が九年間通ったハッキョじゃなくて、みんなのハッキョなんだという、建てた人の思いだとか、通った自分だけの思いではなくいろんな方の思いが込められた学校だということを実感するようになりました。
金九年間通って、ハッキョは楽しかったですか?
文委員長楽しかったです。
金当時は同級生が何人くらいいたんですか?
文委員長一番多いときで一〇人です。男女が五人ずつで。卒業するときは七人でした。
金先輩後輩は多かったですか?
文委員長一つ上が最大七人で、中級部になると三人でした。一つ下も同じでした。私が中級部三年の時に全校生が三二~三三人でした。
金クラブは?
文委員長中二と中三は卓球クラブでした。中一のころはサッカー部と卓球部をしていましたが、人数が足りないというのもありましたが、サッカーが決してうまかったわけではなかったので二年からは卓球だけになりました。高級部の頃は東京朝高でラグビーをしました。
金同級生とは?
文委員長あまり会う機会はありません。県内にいるのは二人ですね。
金赴任する前、栃木ハッキョに対する思いは?
文委員長栃木ハッキョだけというわけではなく、在日朝鮮人運動全般から栃木を見るとき、母校なので直接関与したいという思いはありました。実際にここにきてアボジ会、オモニ会の活動や先生たちの姿を見て、みんなで守っていかなくてはと思いました。女性同盟とオモニ会が、給食を作っているんです、先生たちのために週に三回。毎週土曜は子どもたちにも給食が出て。そんな活動を見ながらハッキョはこうして守られているんだと改めて感じました。オモニ会の活動が活発です。アボジ会も年に一度特別給食を準備しています。保護者と会う機会が多くて。実際に保護者や生徒たちの姿を見ながら、感じることが多いです。
何よりもすごい覚悟を持ってハッキョに送っているのだなと感じます。ウリハッキョに送りたいという思いが強いのだと思います。県下唯一のウリハッキョ、栃木のハッキョがなくなれば同胞社会がなくなってしまうかもしれない、民族教育が最後の砦という思いを保護者と共有できるというのが、大きな力になっています。ハッキョによく行くのですが、いつもアボジやオモニがいて、温かく迎えてくれます。
堂々と生きる理由、探せる場所
金ウリハッキョの何がいいんでしょう?
文委員長ウリハッキョの良さは、自分の存在を歴史的にも、社会的にも学べることだと思います。私自身も少年団活動、朝青活動を通じて自分が育ってきた組織のために自分は何ができるのかという気持ちを育てられました。昨年、宇都宮であった県の成人式に参加したのですが、ウリハッキョの卒業生が「コマプスムミダ」とあいさつをする一方で、派手な装いや振る舞いで自分を誇示しようとする日本人の新成人たちを見ながら、一日二日ではなく、何年もの間、民族教育が培ってきたものの大切さを実感しました。民族教育はやはりいいなと。
金確かに派手な装いや振る舞いで自分を誇示しようという若者もいますが、皆がそういうわけではありません。あからさまな差別も少なくなって、財政的な負担も軽い、友だちもたくさんいる日本の学校でもいいのではないかという同胞たちも多いですが…。
文委員長朝鮮人の自覚を持つためにはウリハッキョしかないと思います。
金ウリハッキョの魅力は何なのでしょう?
文委員長堂々と生きていく理由を探し当てられるところだと思います。差別や抑圧が露骨にある学校もあります。すべての日本の学校で歓迎しているわけではありません。自分という存在を自ら貶めたくないし、在日朝鮮人五世、六世として生きていくには、ウリハッキョしかないと思います。同胞たちが在日朝鮮人として生きていける環境を作っていかなくてはという使命感を感じています。「ウリ マウム モア」というタイトルを決めるときも、いろんな気持ちがあるのではないかという議論がありました。使命感、責任感、集団主義精神、良心を育てたいという思い…、一つではなかったので、いろいろな思いがあっての集団だと思います。
金そういう「伝統」にいつまでもこだわる必要があるのかという声もあります。
文委員長私たちの伝統の底辺にはいつも愛国愛族の魂が流れています。正しく導いてくれる共和国と総連の正当性を自身自分の姿で示したいと思っているのですが、自分が生まれ育った栃木のハッキョの同級生を網羅できていない現状もあって、いろいろ考えます。腹を割った話をしていなかったのか、腹を割った話がどういうものなのか、ウリハッキョをどうしていこうかという話なのか、当事者意識なのか、政治情勢が厳しい中で自分の立場をはっきり示してこなかったのか…など。
先輩たちがいたから今ここで、ウリマルと文字を学んで「ウリ」という概念を生活の中で具現できているけれど、三十年後に今を振り返ったときに、あの時につないでいれば良かったと後悔したくない。つなげなければ無くなるしかありませんから。自分たちの代で無くしちゃだめだと思っています。当然、継承発展させたいし、そうしていくことが自分の存在意義ではないかと思っています。現状は思ったより難しいですが。
金思ったより厳しい中でつなげていこうという原動力は?
文委員長本部委員長や女性同盟委員長もいるのですが、一人の時間も多くて、一人だとめげそうになることもあります。厳しいけれどもっと厳しい状況もあるはずです。まだ耐えられる、実際に耐えてこられたので。いろいろな感情はあるのですが、やりたくないというより、常に希望をもって、休みたいときには休んで楽観的にやってきました。60周年行事を終えて今は、辛かったと言うより無事に終えた安心感の方が大きくて、解放感というのはありませんでした。
活動家をしていますが、資本主義社会で活動家をしたくてもできない人達がたくさんいます。そんな中で今もさせてもらっていることへのありがたみと、活動家という職業があることへの感謝、専任としての覚悟を持たなくてはいけないという気持ちを原動力に、自分が果たすべき責任とは何かを常に考えて活動したいと思っています。文書を一つ作るにも何をするにも、マニュアルもなければ、正解もありません。だから常に自分ができる限界までやろうと心がけていたのですが、やはり勉強が必要だと実感しました。仕事の優先順位を決めるにも、経験も大切ですがもっと勉強しなければと強く思いました。処理能力とか視野を広げるためにも。得手不得手を問わないで、提起された課題は無条件やりとげようという姿勢と立場を追求するのに一生懸命で。
金周りから力をもらうことは?
文委員長頑張っていこうなと励まされたり、終わった後にねぎらいの言葉をかけてもらったり。一緒に活動している人たちの姿を見たり、全国各地の朝青活動家たちの活動ニュースを聞いたりして元気をもらいます。コミュニティは大切です。大きい流れの中で自分が取り組んでいることの正当性を確認して、歴史的に正しいことをしているんだなと実感したときも、もっとがんばろうと思います。
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