ハッキョサラン全国に伝え 通学バス購入資金作る
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願いは子どもたちの自立
金子どもたちは将来何がしたいとか話しますか?
秋うちの子は舞踊が大好きで、一時は歌劇団に入りたいとか言っていたんですが、朝高のクラブ活動かキツイのか、最近は言わなくなりました。本人は朝鮮大学校に行きたいと言っています。ただ私は、活動家になるために行くのはだめだと言っています。社会人として自立するための経験をしてほしいです。同胞社会に貢献する方法はいろいろありますから。
金経済的に自立してもらわないと困りますからね。
秋そうなんです。誰かのために何かするには、まず自分がしっかりしていないと。だからまず自分が自立することだよと話しています。
金息子さんは何か言っていますか?
河息子は何も言いませんね。口数が少ない子で。中学二年になる娘は「理科の先生になりたい」とか言っています。少し前にそんなことを言っていました。「理科?」って、ちょっと驚きましたが。でも今はこの中でのことで、これから選択肢も増えて、夢も変わっていくと思いますが、まあ、今のところはそうらしいです。
金親としては、こうなってほしいとか思うことはありますか?
秋重複しますが、まずは自立して、そのうえで同胞社会のために何かできればいいと思います。
河まだ先のことまでは考えられません。
インタビューを終えて
金淑子・編集部
季節外れの雪が降る三月末の日曜に、ハッキョに隣接した事務所の応接室で話を聞いた。
オモニ会の方々に会ったのは初めてだが、長野ハッキョにはこれまでも何度かお邪魔している。二〇一四の青商会の民族フォーラム開催以降、ハッキョに対する同胞たちの思いに一層弾みがついたという印象だった。
去年の夏、連れ合いがペアのタンブラーを持って帰って来た。長野ハッキョのオモニ会が作って販売しているけれど、注文が殺到してなかなか手に入らないので、朝鮮新報社の記者に譲ってもらったとのことだった。韓紙で作られたそれは大変おしゃれで、店に並んでいれば必ず手に取るだろうと思われた。「ハッキョだから寄付のつもりで」という時代ではない。オモニたちのセンスの良さがうかがえた。
数日後、「毎日のようにハッキョに出てきてコツコツ作業しているオモニたちを見ていると、活動家たちはもっと頑張らなくてはと思うんだよな」と総連本部の委員長が話していたというのを聞いた。作業するオモニたちとそれを見守る委員長の姿が目に浮かんで、一度話を聞きたいと思っていた。
ハッキョを訪ねると、青商会のメンバーたちが一~三階のハッキョのトイレ掃除をしていた。この日は中南信地域の担当だったようだが、県の会長ら助っ人も加わって十一人が、ジャージ姿にゴム手袋でたわしとホースを手に、汚れと格闘していた。
オモニたちのインタビューは終始明るかった。SNSで常につながっている日常から、ソルマジ公演のために四〇日間、連絡もままならないウリナラに送り、二度の電話とネットにアップされる写真に一喜一憂した話や、愛知朝高の寄宿舎から帰って来た娘の汗疹に「これが一緒に暮らしていないということなのかな…そばにいればひどくなる前に予防してあげられるのに」という秋文江さんの言葉には、オモニだからこその愛情があふれていた。前年の女盟や青商会、支部に続いて、もう一台バスを買い替えようと、「今年はお金儲けの年に」と知恵を絞り、タンブラーやチョゴリノートの製作販売を決め、ファイスブックで紹介するや「気が付くと注文が入っていて、送り先や入金を確かめて」「(注文が)殺到してどうしようと、困った、困った」と、仕事中も通帳とにらめっこしていた財政部長の河智蘭さんの話から、受注を中断せざるを得ないほどに仕入れや製作、入金確認や発送に追われたオモニたちの奮闘ぶりがうかがえた。オモニ会の中に企画開発部があるという話に、次はどんなものが出てくるのか、期待が膨らんだ。
長野ハッキョの現状は、秋さんの「よく見てもらえるし、家庭的で本当にいいハッキョですよ」というさりげない言葉にすべて集約されているように思えた。
インタビューから一か月後、女性同盟七〇周年を記念した芸術競演が東京で行われ、長野オモニ会のメンバーらが演じたプンムルが最優秀賞を受賞した。その日の夜、同胞の店での打ち上げに合流し、乾杯した。「同胞たち独特のノリ」はプンムル同様にリズミカルで、正直で、文字通り「報道を笑いに変える場」でもあった。
河さんの「減りながらも幼稚班から中三まですべてのクラスがあるので、何年かしたら欠けるかもしれないけれど、でもハッキョはあり続ける」という言葉が心強く蘇った時間でもあった。43
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