時計は巻き戻せない
スポンサードリンク
金明俊監督のインタビューを終えて、友人夫婦と二才の子どもとともに週末の光化門広場に行った。前日に特別検察官の捜査チームが、朴槿恵大統領の親友、崔順実被告側に賄賂を贈ったとして、贈賄容疑などでサムスン電子副会長の李在鎔を逮捕したこともあり、この日はキャンドルデモよりは、保守派のいわゆる「太極旗」デモに多くの人が集まったようだ。
スポンサードリンク
夜の八時を過ぎて、デモ隊の姿はなく、「セウォル」号沈没事件の真相究明を求める署名ブースや医療支援団のテントが並び、舞台でのコンサートに声援を送る人々の姿があった。まるで縁日の通りを歩くようだった。二才の男の子は、買ってもらったキャンドルを手に、興味深げにあちこちを駆け回っていて、それを友人の連れ合いが一生懸命追いかけていた。彼女は「今回の事態で初めてデモに参加した。家族でデモに来るなんて思ってもいなかった」と話していた。学生運動とは無縁の学生時代を過ごしたと言っていた。三十代はすでにそういう世代なのだろう。掲げられた「弾劾」「退陣」「拘束」という厳しいスローガンとは裏腹に、平和で穏やかな空間だった。
この間、南北関係の極度の悪化や被害者を無視した「慰安婦」問題の韓日合意、進歩陣営の弾圧など、朴槿恵政権は歴史の針を過去へ巻き戻そうと、権力を振りかざした。謝罪もないままわずかな金で黙れと言われた被害者のハルモニたちの悔しさや屈辱はいかほどだったろう。政府と考え方が違うからと発表の道を閉ざされた映画監督やコメディアン、アーティストの閉塞感は、想像がつかない。政経癒着の非民主的な経済システムのもとで生活を脅かされた人々の失望はどれほど深かっただろう。
しかし人びとは結局それを許さなかった。朴槿恵大統領は罷免され、彼女の取り巻きたちは囚人服姿となって連日メディアを騒がせている。明俊監督の「それまでの長い間多くの人々がそれぞれ自分の今日と戦っていなかったら、あのようなキャンドルデモにはならなかったはず」という言葉が浮かんだ。一九八七年の六月闘争から三〇年、韓国社会の成熟を実感した。
一方朝鮮学校を巡る状況はますます厳しい。一九八〇年代末~九〇年代前半、民族教育は、高校体育連盟の主催する大会への参加や大学受験資格、JR定期券の学割適用や各地での助成金支給など、権利獲得で大きな前進を遂げた。当時はマスコミがわれわれの見方だった。
ところが拉致問題の発覚以降、日本政府やマスコミは、報復の矛先を日本で生まれて育つ幼い子どもたちが学ぶ朝鮮学校にむけて、ようやく獲得した権利を再び取り上げ、兵糧攻めのように朝鮮学校を孤立させている。
学校数の減少や児童・生徒の減少という現状に日々重くのしかかる日本政府の圧力。助成金の打ち切りを合法とした大阪地裁の一審判決には、私たちはそこまで迫害されなくてはいけない存在なのかと衝撃を受けた。先日の和歌山県でも助成金が打ち切られるというニュースにはため息が出た。日本はどこまで行くのだろうと、先の見えない不安に襲われる。
しかしこんな形で民族教育を途絶えさせるわけにはいかない。今朝鮮学校が息途絶えてしまえば、在日朝鮮人の歴史は消され、日本社会に受け入れてもらえない存在としての劣等感だけを後世に伝えることになる。「差別はいけない」と百回叫んだところで、心からの平等は実現できない。どうして差別が生まれたのかを知って違いを理解し、互いを尊重しない限り対等になれるはずはないのだ。そのためにはまず在日朝鮮人が自らのルーツを知り、尊重されるべき存在となることが先決だ。それができるのは朝鮮学校の民族教育しかない。
在日朝鮮人と日本人には隣人としてともに過ごしてきた一世紀近い歳月がある。紆余曲折はあってもいつかはきっと分かり合えるはず。「自分の今日との戦い」の積み重ねがキャンドルデモの大きな炎となったように、私たちも今自分にできることをコツコツと積み重ねるしかないと改めて肝に銘じた。金淑子・編集部4
スポンサードリンク