刺激になった? 日本人教師による初の授業=東京中高=
スポンサードリンク
スポンサードリンク
二月一一日、東京中高で催された、日朝教育交流の集いで、一五人の日本人教師が教壇に立った。こうした試みは東京中高では初めて。中級部は英語と社会、歴史の三教科、高級部は英語と日本語、世界史、地学、物理、化学の六教科。生徒たちは特段緊張することもなかったようだ。
私は中二二班の社会の授業を見学した。
冒頭、いつも通り挨拶すべきか、どうかで、生徒は戸惑っていた。一方先生も、黒板に名前を書きながら、「武器を捨てる」と書いて、「むしゃ」と読みますとの自己紹介が少しぎこちなかった。
授業のテーマは、「東京大空襲と朝鮮人」。パワーポイントを使いながら、三択のクイズ形式で進められた。
- どの戦争の空襲? 日露戦争・太平洋戦争・朝鮮戦争
- 何年何月の空襲? 一九四二年四月・一九四四年一一月・一九四五年三月
- それまでの空襲との違いは? 昼間・高高度・無差別
- どんな爆弾が使われた? クラスター弾・ナパーム弾・日本ように特殊開発
生徒たちは、事前に配布されたプリントに回答を書き込み、先生はその都度挙手で集計していた。大多数の生徒は、東京大空襲のことを知らないようだ。
大空襲の概要に引き続き、犠牲者数は? 大量の遺体をどうしたか? など、被害の実態編だ。
先生・「ここで遺体の写真が出ます。見たくない人は…」
前から三列目に座ったワイシャツ姿の生徒がその言葉を待ち構えたように一人机に伏す。しばらくして―。
先生・「写真は消えました…」
かれは伏したままだ。「ヨ・ン・テ」の声が飛ぶ。ただ眠たかったようだ。しばらくすると、姿勢を正す、正そうとする。それでも問いには、的確な答えを出していた。
そしてメーンの東京大空襲と朝鮮人編。先生は、調査が進んでいない、進められない実態を伝えながら、一万人という「予想値」を示した。全体では百万人の住民のうち、一〇万人が、朝鮮人は四万人のうち一万人が犠牲になったと述べ、「なぜ、朝鮮人の死亡率が高かったのか」について、寮の門が閉ざされ、逃げることができなかった、石川島重工の徴用工の例を挙げ、説明したが、ここでタイムアウト。予定していた、生徒との討論をすることはできなかった。
先生は、ICT教育用にカリキュラムを組んできたようだ。挙手による回答確認に手間取った。プリントに書き込むのではなく、先生の端末とつながったタブレットで回答していたら、意見交換の時間を十分持てたはず、先生の感想も聞けたはずだ。その点は残念だった。
武捨先生を囲んで記念写真に納まる生徒たちはみんな笑顔だ。日本人教師による初の授業は新鮮で、刺激になったようだ。
ヨンテトンムに感想を聞くと、「チョアッスムニダ」の答えがすぐに戻ってきた。何がよかったのか聞き返すことはできなかったが、屈託のないしぐさが憎めなかった。
× ×
この日、武捨先生が「大空襲での朝鮮人の実態についてはこのような本があります」と紹介していた「東京大空襲・朝鮮人被災の実態」は、私が証言を集めて編んだ書だ。そんなこともあって、他の教室をのぞくことはできなかった。 (「記録する会」・金日宇)42
スポンサードリンク