息子の受験記
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パート5・「あった! うそや! 受かった!」
二月一〇日で全ての一般入試が無事終了しました。
次の日からのチョンヘは文字通り満身創痍。腰と首に負担がかかり動けないし、あちこち痛くて温泉で温めて湯治。心も体も緩んだと思います。もちろん家族中なんとなく緩んだ感じですが、結果発表まで気が気ではありませんでした。
最初の合格発表は、二月一五日 午後一時より。アッパは、とても合格発表のプレッシャーに耐えられないと遠い三重県まで釣りに出かけて発表の瞬間から逃げました。
まずは、立命館大学 法学部。発表をインターネットで見ました。受験番号を探しながら第一声は「あった! うそや! 受かった!」でした。
何度も何度も番号を確認。確かに間違いない。親としてはこの上なくありがたい瞬間。思わず涙がでました。一応落ちた時のことを想定して、どう慰めたらいいものかとばかり考えていたので(あ、これで慰めの言葉を言わなくても済んだ)という気持ちとうれしい気持ち。今までの息子の頑張ってきた姿を思い出したら涙あふれました。
早速アッパに報告。「俺涙出そう。チョンヘおめでとう!」と電話の向こうでお祝いメッセージ。とにかく感動の瞬間でした。
これだけでもう十分でしたが、飛んで一七日。次は、いよいよ第一志望の同志社大学 法学部。
「ここは完全に落ちたと思っといて」という息子の言葉に従い、覚悟を決めました。
やはり発表はインターネットで見ました。
全学部と個別の両方を受けたので、まずは全学部の発表から。画面には青い字で「不合格」の文字。でも冷たい感じではなく、ちょっぴり優しい文章。
(一部省略)
あなたにとっては、残念な結果となりましたが、あなたの日々の学習努力に心から敬意を表します。再度奮起され、来年も同志社大学を目指されるなら、次こそは是非合格通知を受け取っていただきたいとねがっています。同志社大学はあなたの挑戦を来年もおまちしています。
冷静に受け止めました。素直にうなずけたし本人も冷静に「やっぱり」という感じ。もう一つの発表も見なくてはいけないのに、見る気が失せてしまったものの仕方なく再度受験番号入力 確認。同志社大学 法学部 個別試験の結果発表。画面を見るとなななななななんと赤い文字で「合格」。えっ? 合格? えっ? 予想だにしてなかった合格の通知に、二人で大絶叫! どんな行動をとったのかはっきり覚えていませんが、記憶にあるのは近所中に聞こえる声で叫びまくって、チョンヘといえば部屋中を走り回り、転げまわり、踊りまくりこれ以上喜びを表現できないとういう限界までありとあらゆる表現をしていたと思います。ちょっと冷静ではいられなかったので…。
早速アッパに報告。「え! 嘘やろ? もうあかんホンマに涙が出てきた。」
この一年間が走馬灯のように思い出されて涙が出たそうです。オンマも一緒にうれし涙を遠慮なく流させていただきました。ハンメ[祖母]ちゃんたちに電話で報告するとやはりうれし涙で祝ってくれて、身内もとても喜んでくれました。そしてチョンヘを応援してくれた友人たちにも結果報告とお礼をいいました。子どもを育てているとこんな日も来るんですね。本当に心から息子におめでとう! と言いました。
その後の残りの学部の結果発表は、立命館大学 国際関係学部 不合格、同志社大学 社会学社会福祉学科 合格。
これで、チョンヘの受験は終わりました。
これまで息子の受験を心配してくれて励ましてくれた方々に結果の報告と感謝のお礼を申し上げます。コマッスンミダ。
パート6・一番のラッキーは僕がこの世に生まれたこと
fbチングの皆様。長い長い投稿を読んでくださり感謝します。そして、あちこちからお祝いの言葉をいただきコマッスンミダ。
インターネットでの発表は間違いがあるかも? という疑心暗鬼…。自宅のポストに合格通知が届いてからやっと現実だと実感しました。やれやれです。
ハンメの家に合格通知を抱えて報告しに行き、「おめでとう!」と乾杯しました。チョンヘは、「まさか自分が受かるとは思ってなかった。」と感想を述べていました。(申し訳ないけど、親もそう思っていましたよ)又「たくさんのラッキーが自分を味方してくれたんだと思う。」とも言いました。「塾の選択もラッキーだったし、講師の先生もラッキーだった。でもまずは、ウリハッキョに通えたことがラッキーだった。もし自分が日本の学校に通ってたら身の丈に合うような挑戦しかさせてもらえなかったと思う。僕の実力をわかってて無謀な挑戦と知りながら「頑張ってみろ」と背中を押してくれたソンセンニムがいたから挑戦できたし心強かった。それから、ユチバン[幼稚園]から高校までお世話になった全てのソンセンニムにお礼が言いたい。だって本当にウリハッキョのソンセンニムたちのおかげでここまで成長できたと思っているから。感謝してる。」
確かに。うちの息子は前にも述べたように、集団生活の中ではどちらかというと口下手で苦手が多くていつも自信がなくて不器用な生き方をしてきた子。友達の輪に入りたいような、でも引いてしまうような消極的でややこしい子だと正直に思う。でも、家では饒舌だし面白くて何よりも優しい。妹を目に入れても痛くないくらい可愛がり、自閉症でわけのわからないことが多い弟にも一度も手をあげたこともなく優しく接してあげる良い兄だ。よって弟妹の兄に対する信頼は絶大だ。
うちと外の顔が違う息子なので心配もしたが、ウリハッキョのソンセンニムたちは一人ひとりの個性を大切に接してくれたし理解しようと努力してくれました。良いところを引き出そうと頑張ってくれるところにもありがたさを感じました。
特に滋賀ハッキョ時代は、ソンセンニム達が子どもたちの親兄弟のように親身になり教えてくれて、ハッキョと家で一緒に子育てして行きましょうという感じだったので新米オンマとしてはかなり心強かった。そして、親としての在り方もソンセンニムから学ぶことが多かった。
京都中高では、親には言えない悩みとかを、ソンセンニムに良く相談していたそうだ。そこには、いつも的確で明確な答えをくれるソンセンニムがいたので助かったそうだ。
「だから、ウリハッキョに通わせてくれて本当にありがとう!」と言われた。
続いて「受験ってね、結局は頭の良さよりメンタルの強さが大切なんだよ。授業や塾で知識は身につくけど、それをこなすのはメンタルなんだよ。メンタルが弱いと挫折しやすい。ウリハッキョでは強いメンタルが育つんだ。
ウリハッキョは、学生同士で討論したり人と人の繋がりを重視した活動が多い。積極的に他人と交わり意見交換することで色々な考え方や価値観の違いなど話し合ってお互いを高めていく。意見を分かち合うことで自分だけの小さな世界が広がり新しいものを受け入れやすくなる。新しいものとは例えば環境の変化とか予想外の出来事とか。
メンタルを高めたおかげで動じない心が生まれる。だからこそ、摸試の点数悪くても焦らない。このメンタルを手に入れられたのはウリハッキョのおかげ。
それにトンムにも感謝してる。トンムと交わるのが一番のポイント! そう思ったらウリハッキョの環境があったからこそメンタルが備わったと思うんだ。」
と熱く語っていました。
普段はあまりハッキョの事を語らないだけに、まさかこんなことを考えていたとは思いませんでしたが、なるほどーと思いました。
でも、私たち親もハッキョには息子以上に感謝しているんです。礼儀正しく、人にやさしく自分の事は自分でする。人間の基本ですが、身に着けることは難しいですよね。そういう基本を指導してくれるところがウリハッキョだし人間味あるんですね。
そして、学父母も自分の子じゃなくても我が子のように接してくれる温かさ。同胞社会の独特な文化だと思います。ウリハッキョの規模が全国各地で小さくなっていくことは残念で仕方ありません。こんなに良い学校が他にあるでしょうか。誤解のないようにここで言いたいのは、ウリハッキョに通ったから大学に合格したと言いたいのではありません。学生たちに寄り添いながら頑張る子に育てようと努力してくれるのがウリハッキョなのです。
十人十色、色んな才能を持った子どもたちの芽を摘むのではなく育てようと努力してくれるところがウリハッキョ。ウリハッキョ入れてどうすんの? って言わずに、もっと積極的にウリハッキョに子どもたちを通わせてください。そして、大人の型にはめずにのびのびと育ててあげてください。勉強ばかりにこだわらず、歌も歌って踊りも踊って舞台に立って、スポーツもしてリクリエーションも沢山あるハッキョ。いつしか、自分に合ったものを見つけて芸術で活躍する子、スポーツ界で活躍する子が出るだろうし普通の生活を送っていても幸せな家庭を作る良いアッパオンマになる子たちがどんどん育ってくれでしょう。偏差値では計り知れないパワーを持った子どもたちが通うハッキョ。魅力があると思いませんか?
そこまで、ハッキョやトンム、同胞社会に思い入れが強いのになぜに朝鮮大学ではなく日本の大学を選んだの? と尋ねたら、「それはね、今まで同胞社会で育ってきてまだ一歩も外に出てない気がしたから高校を卒業するのを機会に違う世界に進んでみようと思ったのと、同胞社会を外から見てみようと思ったから。」だそうで。親の知らない間に子どもは成長しているのだなと痛感いたしました。
「じゃあ、一番のラッキーは、やっぱり大学の合格?」
「いや、違うでしょ!」
「じゃあ、一番のラッキーってなに?」
「そりゃ、一番のラッキーは僕がこの世に生まれたことでしょ。生まれなかったらこんなこともなかったわけだし。だから、アッパとオンマに感謝してるよ」とさらりと言ってのけるこの子はなに? 自分の子ながら、こそばゆいような、赤面するような、ありがたいような妙な気分でした。
でも、ありがとう。そう言ってくれる息子にオンマこそ感謝です。生まれてくれてありがとう。そして、これからもよろしく。
編集部より・筆者の許可を得てfbから掲載した。中見出しは編集部による。