【発掘資料】4.24教育闘争から69年:草創期の民族教育のあゆみ(上)
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神戸のトンムたちへ:「青空学校」で学ぶトンムたちのために募金運動
李順愛・東京第一朝聯小学校6年
■発掘資料■
「記録する会」より・一九四八年六月二五日付の「解放新聞」に載った、東京第一朝聯小学校六年生 李順愛さんの手紙を紹介する。本文はウリマル、「 」内は日本語の部分。
神戸のトンムたち! アンニョンハシムニカ!
暖かな春は、私たちの学校を守ろうと頑張っている間に過ぎ去り、いつの間にか蒸し暑い夏になりました。
私たちの学校では,班をつくり、笑顔で一生懸命勉強しています。
四月に起きた、学校問題について私たちは驚き、あまりにも「にくらしい」し「かなしい」し、今までうれしかったのに急に胸が痛くなり、泣きたくなりました。
東京にいる私たちよりももっと大きな圧迫と心配で何日もの間昼も夜も、食事もとらないで戦っている神戸のトンムたち!
私たちは考えれば考えるほど、胸が痛くて我慢ができません。
私たちは朝鮮の子ども!
祖国と自由独立のためには、自分たちの体がなくなっても戦うというトンムたちの話を先生から聞いて、私たちは心から「かんしゃします」。それに、このたび大阪で戦って死んだ金太一の名前は「わすれることができません」。私たちの学校を守ろうと巡査の銃に撃たれ死んだ私たちのトンム…また、金花順トンムは巡査が毎日持ち歩いている「ぼうで」頭を殴られ、ようやく「いのちだけはたすかったといいます」。
私たちはこのトンムたちと神戸のトンムたちのために毎日お金を集めています。
さあ! 神戸で暮らしている私たちのトンムたち! 悲しみはすべて捨てて、一生懸命勉強しましょう。
トンムたちは日本の学校から追い出され、「あおぞら」学校で学んでいるというので、私たちが集めたお金を加え、早くいい建物を建ててください。
私たちは、「せんでんをしたりビラをまいたり」して、勉強をできずにいましたが、五月からは再び笑顔で学校に通えるようになりました。
これもトンムたちがウリナラ[祖国]のために、ウリマル[朝鮮の言葉]ともじを守るために戦ったからです。
神戸で暮らすトンムたち! さようなら。
(この手紙は、東京の小学生たちが神戸に送った作文数十通の中の一つだ。編集局)42