【発掘資料】4.24教育闘争から69年:草創期の民族教育のあゆみ(上)
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朗読詩
私たちは朝鮮の息子娘
―民族教育を守ろうという子どもたちのために―
李殷直
はじめに
(「アリラン」の合唱を背景に)
長く暗い夜を
私たちは知らなかった
国を失い
言葉を奪われ
家を奪われ
食べていく糧もない乞食となって
ふるさとを追われた人たち
学ぶこともできず
考えることも知らずに
どぶの中のごみのように
死んでいくしかなかった人たち
海を渡って
敵の地に来て
バナナかごを背に
ゴミ拾いをし
ズタ袋を肩にかけ
これいらんかねと
叫びながら歩き
肥桶を抱えて
あちこちを回り
つるはしを手に山肌に立って
岩を削っていた人たち
人間とは名ばかりで
豚小屋のような中でひしめき合いながら
家とは名ばかりの
板切れを打ちつけた
むしろの床の上で
足を延ばすこともできずに
押し込められて寝ていた人たち
犬ならどれほどよかっただろう
働かなくても時間が来れば餌が与えられる
牛ならどれほどよかっただろう
寝て起きる小屋は与えられるではないか
家も食べるものも着るものもなく
寝ても覚めても
「朝鮮人」
「どろぼう」
「汚い くさい」
さげすむ視線
辱めという辱め
すべての試練に耐えながら
口を閉ざして生きてきた人たち
炭鉱では坑内の岩が崩れて不具となり
鉄工所では数千度の火の塊が流れて体が焼け
工事現場は毎日負傷する劣悪な職場
徴用という名のもとに
木の下で昼寝する上司であれ
庭を掃いている下働きのものであれ
男ならだれでも引っ張ってこられ
連絡船に乗せられ
容赦なく鞭打たれ
飯も満足に食べられず
服も着られず
寝る場所もないまま
ただ働かされて
一息つくときは奴らの
「皇国臣民」の声を聴きながら
溜息と涙と血を吐いて
生きてきた人たち
彼らが私たちの父であり、母であり
私たちの同胞であり
私たちの民族であることを
知らないで私たちは生きてきた
恐ろしい空襲の記憶も漠然と
幼い私たちは何も知らずに
解放の日を迎えた
一
(「解放の歌」の合唱を背景に)
アボジたち オモニたち
涙を流して喜んで
狂ったように抱き合って
マンセーを叫んだ
見たことのない旗を作って掲げ
群れとなって 列をなして
あちこちを叫びながら行進するのを
わたしたちはただ
胸をときめかしながらついて行った
私たちのハッキョに行けという
アボジ オモニの言葉に
私たちは 大きくて近い
日本の学校ではなくて
電車に乗って バスに乗って
遠い道を歩かなくてはならない
小さな学校に行った
荷物も少なく
先生も少ない
来るトンムたちの数も少ない
運動具も設備も
何もかも少なくて 大きくないのが
私たちには物足りなくて〇〇だった
けれどなぜか
私たちはうれしくて
胸がわくわくした
はしゃいで叫んで走り回っていた
文字が簡単だからではない
言葉が気に入ったからでもない
ウリクル(私たちの文字)は数の少ない日本の文字より
何倍も複雑で
ウリマル(私たちの言葉)はなかなか頭に入らなくて
イライラした
そのうえ私たちの先生は
日本の先生よりもよく怒ったし
ひどく叩かれることもあった
それでもなぜか
私たちはハッキョが好きだったし 楽しかった
一年が過ぎ
さらに二年目が過ぎ
私たちは何とかウリマルを習って
「アンニョンハシムミカ」と
あいさつを交わすようになった
私たちは朝鮮人
私たちは朝鮮の息子・娘
日差し明るい祖国朝鮮を担う
頼もしく闘っていく働き手
あー 私たち しっかりとした頼りになる
朝鮮人になるために
みんな一緒に集まって
学んで戦うすべを知ろう
二
(「ウリハッキョチキジャ(ウリハッキョを守ろう)」の合唱を背景に)
一九四八年三月
解放から三年足らず
奴らは私たちの民族を再び押さえつけて
昔のような奴隷にするために
ウリマル ウリクル 学べないように
ウリハッキョへの弾圧を始めた
ウリハッキョを奪われることは
私たちの命を奪われること
私たちは団結して立ち上がった
野獣のような米帝の暴悪
卑劣極まりない日本の反動政府
奴らは大阪で
私たちのトンム 金太一を殺した
奴らは神戸で
四千人の私たちの同胞を捕まえて拘束した
全世界の人民が私たちを支持し
民族教育を守る闘いに賛成しているのに
奴らは日本の中で
数千人の私たちの同胞を拘束し
私たちの指導者を捕まえ
ウリハッキョを壊し
私たちを殴って、踏みつけ、殺すことまでした
けれど私たちはついに闘い勝って
奴らの正体は全世界に暴露された
ウリマル ウリクルを守って
ウリハッキョを守ることが
いかに立派なことなのかを
私たちは血にまみれた闘いの中で学んだ
そして私たちは
私たちを正しく指導する
金日成将軍のもとでしっかりと団結した
朝鮮民主主義人民共和国の誇らしい少年だという自覚を持った
私たちの国家
人民共和国の星が輝く
赤 青 白の
わが民族の神聖な証である旗を
私たちはなびかせながら行進をした
三
(「4・24の歌」を背景に)
私たちの民族を奴隷にしようとする
米帝たちは
一九四九年九月八日
私たちの組織・朝聯 民青を解散させて
一〇月一九日
ウリハッキョに閉鎖令を下した
奴らは
拳銃を腰に警棒を振り上げ
数百 数千 数万人の犬どもを放って
ウリハッキョに鉄格子を張り
私たちの先生を引っ張って行って
私たちを雨風の吹く通りに追い出した
もしも私たちが
泣くだけで戦うことを知らなければ
奴らは胸を張って
思い通りにふるまっただろう
しかし
私たちは死を恐れずに闘った
私たちは捕まっていった先生の釈放を求め
奴らが張った鉄格子を壊し
ウリハッキョを守って
ウリクル ウリマル ウリ教育を守った
四
(「祖国が呼ぶ道へ」合唱を背景に)
月日は経ち また年が暮れた
毎日が闘いで
その時その時が闘いだった
敵の米帝の挑発を蹴散らし
私たちの英勇とした朝鮮人民軍が
三八度線を越えて我々のソウルを解放して洛東江のふもとに進撃したとき
私たちは祖国マンセーを叫び
祖国の完全解放に貢献する
闘争の戦列に立った
しかし
敵の米帝は
ありったけの力を尽くして
侵略戦を拡大させた
解放戦争は長引き
異国に暮らす私たちには
日ごとに弾圧が強まった
私たちはこの地で育ち
祖国を見たことはないけれど
解放された民族の誇りをもって
私たちの民族の歴史と文化を学んできた
私たちは戦う民族の先鋒隊
私たちは朝鮮民主主義人民共和国の息子・娘
私たちは英勇な指導者金日成将軍の忠実な弟子たち
私たちは革命を完遂し民主社会を建設する頼もしい働き手
私たちは闘う
民族の独立と自由のために
私たちは闘う
敵のファッショ米帝を掃討するために
私たちは前進する
私たちの旗 人民共和国の国旗を高く掲げて
私たちは叫ぶ
祖国を防衛して 世界平和を叫ぶ歌を
私たちは闘う
私たちは叫ぶ
私たちは前進する
米帝を掃討して
祖国の独立を獲得し 世界の平和を守る
*「解放新聞」(1952・9・6、13)からの転載。訳は編集部による。42一九四八年六月一五日付り「解放新聞」からの転載。原題は「故金太一遺族訪問記 呉記者」。訳とタイトルは整理者による。
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