教育援助費と奨学金が送られてきた日(再現1957.4.19)
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教育援助費と二人の領袖
カン・ジュイル
「記録する会」より・「향도의 태양은 이역에도」(1995・2・16刊)からの転載。タイトルは整理者による。筆者は、金正日国防委員長の側近。
教育の歴史の始まりとともに様々なエピソードが伝えられてきたが、祖国を離れ異国で暮らす海外同胞子弟たちに教育援助費と奨学金を送っているという話を聞いたことがない。
それはわが国だけのことだ。
一九九〇年の暮れのある日のことだ。
この日、教育援助費送付の状況について検討された親愛なる指導者同志[金正日国防委員長]は、つぎのように語った。
「われわれが今年、教育援助費として決めた一二億円の中で五億円しか送っていないが、残りの七億円も送らなければなりません。
…
…明日が晦日です。中央通信社に総連に教育援助費として七億円を送ると報道するようしなければなりません。」
教育援助費と就学金のためなら金塊を売ってでも、年を越さずに送らなければならないという指導者同志の揺るぎない立場に感激し、高まる気持ちを抑えることができなかった。
親愛する指導者同志は担当者を呼び、金塊を売って教育援助費を送る課題を与えると、次のように語った。
「金日成主席は在日同胞子弟の民主主義的民族教育のために戦後の困難な時期にも国家予算に総連教育援助費という項目を定め、これまで一一六回に渡り、四〇一億二千五六八万二千四三三円の莫大な教育援助費と奨学金を送りました。」
親愛なる指導者同志は、在日同胞子弟の民族教育事業は総連で愛国の代を繋げるために非常に重要な事業である。われわれは総連に送ることになっている教育援助費をすべて送らなければなりません。それでこそ総連で教育事業をひきつづき力を入れることができ、愛国事業を代を継いで継続することができると、おっしゃった。
それは、追憶の歴史を思い起こさせる言葉であった。
祖国で在日同胞に初めて教育援助費と奨学金を送ったのは、戦争が終わって四年になる一九五七年四月だった。戦後の廃墟の上に復旧建設をしなければならない困難も大きかったが、内外の敵は、党に反旗をひるがえし挑戦してきたし、反共・勝共に躍起となって、再び戦争を引き起こそうとしていた。その厳しい試練の時期に海外同胞子弟のために教育援助費を確保し、送るということは、考えすらできなかった。しかし、海外同胞に民族教育を施すことは自らの崇高な民族的使命としていた偉大な領袖[金日成主席・当時の首相]は、すべての困難を負い、一億二、一〇九万九〇八六円に達する教育援助費と奨学金を送ったのである。
教育援助費は、このように過去、異国の地に連れていかれ、学ぶどころか牛馬のように酷使された同胞たちの子弟を祖国の青少年と同じく、言葉と文字を知り、祖国と愛国を知る朝鮮人に育てようとする領袖の確固たる意思と決心がもたらせた尊い愛の結晶だった。
指導者同志は、一時もこのことを忘れることはなかった。
まして、初の教育援助費を送ってから三〇余年の歳月が流れ、日本経済の成長と民族同化の風が吹く中で、世代交代が起きる現実的条件は、民族教育によって、愛国偉業の代、在日朝鮮人運動の代を継ぐ使命を立派に果たすことを切実に要求した。
このことを考えるとき、指導者同志において、教育援助費問題は、緊張した外貨事情を口実に送らないということは考えも及ばなかった。
指導者同志の支持があった後、在日同胞子弟に教育援助費と奨学金が送られるという、朝鮮中央通信の報道が発表された。
その瞬間、脳裏には数年前、教育援助費に関連した同志の熱い言葉が浮かんだ。
「毎年送る巨額の教育援助費は総連同胞子弟を思う領袖の慈しみ深い愛がにじんでいます。
総連に教育援助費を送ることは、総連同胞子弟に対する領袖の愛の心を送ることです。したがって、教育援助費を真心を込めて送らなければなりません。」
指導者同志は、総連同胞子弟の学父母になった気持ちで言葉をつづけた。
「総連を受け継ぐ者を育てることであるならば、私は国の富が惜しいと思いません。このようなところに使わず、どこに使うというのですか。総連に送る教育援助費のためなら惜しむことはありません。」
このように思っていた彼だから教育援助費と関連する問題にたいしては、いかなる譲歩もしなかったのである。
(略)
私は教育援助にまつわる数多くの話を思い出しながら、在日同胞子弟の未来のために暖かい愛の懐を広げる親愛なる指導者の温情は、総連の年代記に偉大な愛の記念碑として永遠に刻まれるであろうことを信じている。42
1967・9 | 金日成大元帥が栗5袋 |
1974・4 | 金日成大元帥が魚類標本 |
12・24 |
金日成大元帥が植物標本と鉱物標本各1組 |
1975・4 | 金日成大元帥が鉱物標本と地理掛け図 |
9 |
金日成大元帥が鉱物標本と植物標本各1組 |
1979・2 | 金日成大元帥が白頭山の樹木標本と鉱物標本、魚類標本各1組と朝鮮行政区域図を2組 |
12 |
金日成大元帥が大同江魚類標本1組 |
1980・4 | 金日成大元帥が植物標本2組と抗日バロチザンが利用した食用・薬用植物標本1組 |
1982・4 | 金正日将軍が金日成大元帥誕生70周年を記念して全校生に「栽培人参」 |
1985・5 | 金日成大元帥が民族楽器11点。 |