映画「ウリハッキョ」公開から十年:朝鮮学校守る同志でありたい
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韓国の若者と朝鮮学校卒業生
そして日本学校卒業生が出会う場を
金監督少し前に、民族学級で学んだことがあるという同胞と話しました。その人は、モンダンヨンピルは朝鮮学校とだけ交流するのだと考えていたようです。私たちはそういう意図ではなかったけれど、ソプンコンサートを見て感動しながらも、日本の学校に通う同胞として疎外感のようなものを感じたようです。目立つ存在だけを対象にしているのではないかという失望のようなものを感じていたようです。
すべての在日朝鮮人とともにできる道を、私たちだけでなく、多くの人が試みたはずです。けれどうまくいかなかった。私たちも悩んだ時期がありました、朝鮮学校が在日朝鮮人社会のすべてではないと。ただ確信をもって言えるのは、朝鮮学校を通して在日朝鮮人社会を見ると、視野を広めていくことができるということです。朝鮮学校と交流しながら、日本の学校に通う同胞の子どもたちの話も聞いて、モンダンヨンピルを通じて両者が出会ってもいい。朝鮮学校とともにし、朝鮮学校を応援するなら、視線を広く持つべきだと。そのためにももっと勉強しなくてはと思っています。
金朝鮮学校の数が減って、地方では通いたくても通えない現実があります。そんな子どもたちが在日朝鮮人として幸せに生きるためにはどうすればいいのかというのは、在日朝鮮人社会の悩みでもあります。けれどその出発点はあくまでも朝鮮学校です。
金監督今年はあたらしい試みとして韓国と同胞の大学生や若者が出会う交流事業を計画しています。同胞の中には朝鮮学校卒業生はもちろん、朝鮮学校は卒業していないけどともにしようという青年たちが含まれます。私が出会ってここまで来たように、その中から変わる人が出てくるはずです。モンダンヨンピルとして初めて朝鮮学校の中でする行事でありながら、朝鮮学校だけではないさらに広い多様な世界があることを示す場になると思います。今年が第一回になります。
朝鮮学校は先頭に立っています。多様な民族教育の先頭を走らなくてはいけないのが朝鮮学校だと思います。民族学級出身の友人には、出会った朝鮮学校卒業生が見せた態度にショックを受けたと、ようやく私たちに心を開いて話してくれました。
朝鮮学校卒業生と日本の学校を出た同胞が、互いの悩みは、結局は同じなのだということを出会って感じなくてはいけないのに、言葉が違って、思考方式が少し違うせいでそれができないでいるのです。でも本国に住む人たちには、海外に住む同胞たちが出会えるチャンスを作れるのではないかと思うのです。モンダンヨンピルはそれをできる段階に来たのではないかと。まだ頼りないかもしれないけれど、そういう部分も担っていけるのではないかと思っています。これまで積み上げた経験をもとに、本当にいい時代が来た時に政府や政治家たちが制度を作ろうとするときに、役に立てるのではないかという思いがあるのです。
朝鮮学校を見て顧みる韓国での生活
統一に向けてより多くの出会いを
金監督同胞たちから感謝されることがよくあります。この雑誌を通じて伝えたいのは、この仕事を通じてやりがいや幸せを感じなければ誰もやらないと言うことです。自分の時間を割いてでも、同胞たちに合えば楽しいし幸せになれるからここに集まるのです。同胞たちはそれを知らないかもしれません。
金最初クォン・ヘヒョ代表の「朝鮮学校を守ってくれてありがとう」という言葉の意味がよくわからずに、違和感がありました。でもそれは出会えたことへの感謝で、同等の立場だから出る言葉なのだなと最近理解できるようになりました。
金監督守ってきてくれたから、出会うことができたという感謝の気持ちなのです。同胞たちが守ってきた民族教育の姿には、私たちが忘れ去ろうとしているものがあるのです。朝鮮学校の先生たちは給料もまともに出ない状況で児童生徒を一生懸命教えているのに、韓国の教育者たちはどうなのか、というところから始まって、教育とは何なのか、民族とは何なのか、いい学校とはどんな学校なのか、と疑問が次々と沸いてくるのです。そんな刺激が自身の暮らしを前提に世の中を改めてみるきっかけになります。そんなチャンスと出会えることは幸せなことです。誰もが経験できることではありません。
モンダンヨンピルで最も人気があるイベントはソプンです。今年で五回目なのですが、いつも待ちわびている感じです、ソプンはいつ行くのと。ほかの団体にもソプンを楽しみにしている人がいます。行ってきた人たちが周りの人たちに話すと、それを聞いた人が行きたいと。
金生き方に影響を受けているということですか?
金監督非常に肯定的な影響です。ほかの人にも体験させてあげたいと思う経験なのです。
金朝鮮学校の子どもたちもそうだと思います。自分たちを説明しなくてもわかってくれるというのはありがたいことです。日本で在日朝鮮人は常に「私は在日朝鮮人〇世です」「朝鮮語は朝鮮学校で習いました」から始まっていつも自分のルーツについて説明を求められますから。
金監督モンダンヨンピルとしては自分たちが楽しくて始めたことが、大きく育っていると感じることがたまにあります。目的意識をもって続ければよいモデルになれるかもしれない。私たちは朴槿恵大統領がああいう形で大統領の座から退くとは誰も想像していませんでした。一〇月から数か月間のことでした。けれどそれまでの長い間多くの人々がそれぞれ自分の今日と戦っていなかったら、あのようなキャンドルデモにはならなかったはずです。同じように統一はゆっくりと時間をかけて準備されるものだと思います。そしていつどのようにして実現されるかわからないと感じています。そのためには準備できた人々がたくさんいなくてはいけません。こうして日本の一般同胞たちと会った経験を持つ人が多ければ多いほど大きな力となって、政治家の利益が優先されることなく、権力者の思い通りにならないような道を選べるのではないか、そのための力になるのではないかと考えています。なんでもないことですが、朝鮮学校のオモニたちと韓国のオモニたちをつなぐだけのことなのですが、そういう経験が大切なのだと思うことがあります。
金同胞も韓国に来てただ観光するだけでなく、訪ねる人がいて、迎えてくれる人がいる、会いたい人がいるというのは大切なことです。
金監督親戚以外に?
金そうです、親戚以外に。
金監督今はもう昔と違って同胞たちに合うと、ときめいたりすることはほとんどなくなりました。今は友達に会うような、いつも会いたいし、元気でいてほしい友達に合うような感じです。たまにモンダンヨンピルの会議なんかをすると、周りの人から「君は韓国の人と話すときと同胞たちと話すとき、目の光が違う。態度も違う」と言われます。彼らが言うには、韓国人と話すときは頑固だけど、同胞たちと話しているときはやさしくなるらしいです。私は最近同胞たちから派遣された人間だと思うことがあります。その立場を代弁できるわけではないけれど、責任をもってすべきことができた、緊張感をもってやり抜かなければならないと思っています。
同胞たちを取り巻く環境は今、非常に厳しい。特に朝鮮学校を取り巻く状況は、私が出会った時よりもさらに厳しくなっているように思います。それまでは活動家たちに厳しかった状況が、今は小さなハッキョの父母一人ひとりにまで及んでいます。悩みも多いはずだし、疲れているのではないかと思います。そばにいてくれる人が必要なことはよくわかっています。金明俊やクォン・ヘヒョ一人が行って済むなら、いつでも走って行って、手をつないで一緒に抗議をします。でも私たちの目的はそういうことはありません。一人でも多くの人を連れて行って、一人でも多くの友人を作ることです。つらい時に助けてくれて、そばにいてくれる友人を。同胞たちの目にはもどかしいこともあるかもしれません。でも少しだけ待ってもらえればと思います。大きな波を作るには、積み重ねが必要です。澄んだ水で大きな波を起こすために様々なことが進んでいます。コツコツと準備しています。信じて待ってください。
私たちが同胞に伝えたいのは、支援を受けているという考えはしてほしくない、同志の立場で接してくれることを望んでいます。クォン・ヘヒョ代表が「守ってくれてありがとう」といったときに「とんでもない、こちらこそ申し訳ない」というのではなくて、一緒に朝鮮学校を守っていくもの(主体)として接してくれればと思います。私たちは子どもを送っているわけではないけれど、一緒に守っていくべき宝物だと思っています。海外にいても韓国にいても、朝鮮学校を守るためにできることは何なのか、私たちにもいろいろ提案してくれればいいと思います。至らないところは指摘してくれればいいです。そうなればいいと思っています。
インタビューを終えて
金淑子・編集部
大阪朝高級学校ラグビー部の「60万回のトライ」(2013年)、東京中高級学校ボクシング部の「ウルボ~泣き虫ボクシング部~」(2014年)、韓国から来た監督が撮ったウリハッキョを舞台にした映画にどれほどときめき、涙したかわからない。彼らは私たちには見えていなかった朝鮮学校のすごさを伝えてくれた。
中でも「ウリハッキョ」を見た時の衝撃と感動は忘れない。
この映画が公開された当時、在日朝鮮人社会は、拉致問題発覚による衝撃とそれによる日本社会の「北朝鮮バッシング」の激しさに大きく揺れていた。さらに6・15共同宣言後の南北和解の流れの中で初めて訪ねた韓国では、言葉の違いを実感し、誰も在日朝鮮人を知らないと言う現実に、故郷を失ったような喪失感に襲われる同胞が多かった。在日朝鮮人として生きていくことの厳しさにうちひしがれていた二〇〇七年、金明俊監督の真っ直ぐなまなざしと優しい語りで綴られた映画「ウリハッキョ」は、凍えていた私たちに差し出された一杯の温かいココアのように、冷え切っていた心を温めてくれた。朝鮮学校が私たちの誇らしい拠り所であることを改めて感じさせてくれた。
ふと気づくとあれから十年が経っていた。明俊監督に改めて話を聞こうとインタビューを申し込むと、ちょうど二月一七日にモンダンヨンピルの年例総会が行われるというということで、急遽ソウル行きとなった。
総会では会計決算や、今年のイベント、人事などが発表され、時に意見が出て訂正されたりしながら、採決されていった。韓国人がおおざっぱなどと言うのは昔の話だなと感じた。続いて簡単な飲み会が行われ、紹介された会員たちが次々と舞台に立って、簡単なあいさつと歌を披露した。その後みんなで会場の片付け、この時最後まで机やイスを整えていたのはクォン・ヘヒョ代表だった。本番はこの後だったようだが、私はホテルのチェックインもあったので退散した。
金監督とは翌日午後、モンダンカフェ1/3で待ち合わせた。二年前に一度訪ねたときとは違って、インタビューの間もひっきりなしの客で賑わっていた。一角では針と糸を手に裁縫をする男女のメンバーたちがいた。広島ハッキョの卒業式に行って卒業生のオモニたちにプレゼントするポーチを作っているのだという。
インタビューは監督の語りを聞いているようだった。日本に戻ってユーチューブにアップされた「ハナのために」をもう一度見た。その後テープを起こしながら、篤実なクリスチャンだったというチョ・ウンリョン監督が「ここには神の国も必要ないみたいね」と言ったところで、サッカーをする子どもたちとそれを見る二人の姿が目に浮かんだり、チョ監督亡き後、さりげなく気遣う北海道ハッキョの先生や生徒とそれに慰められる金監督の心のやりとりを感じたりして、何度となく手を止めた。あの映画がチョ監督や金監督、生徒や先生たち、同胞たちそれぞれの様々な深い思いで紡がれた作品だったことを改めて知った気がした。
金監督が朝鮮学校を訪れた少しあとにクォン・ヘヒョ代表は、金剛山で行われた南北青年たちの集まりで朝鮮学校の生徒たちと出会っていた。そんな出会いたちが重なって、東日本大震災を機にモンダンヨンピルという団体が生まれた。ソウルにはウリハッキョをテーマにしたカフェまでできて、ウリハッキョの関係者はもちろん在日朝鮮人がいつでも訪ねていける場所ができた。
在日朝鮮人をめぐる環境は厳しい。朝日関係も南北関係も対立が日々激しくなる一方だ。そのあおりを受けて朝鮮学校への助成金は次々と打ち切られ、朝鮮高級学校だけを無償化制度から除外することを地方裁判所までが支持しているしまつだ。
にもかかわらず子どもたちは孤立するどころか、ウリナラの人たちに大切にされ、日本の支援者たちに守られ、モンダンヨンピルの人たちに愛されている。
昨年夏、茨城で行われたソプンコンサートで最初から最後まで椅子の上ではねていた児童たち、舞台でミュージシャンと一緒にギターを弾く真似をして拍手と歓声を浴びた男子生徒、翌日、公園での交流会で南の画家の手ほどきを受けながら手を絵具だらけにして大きな布に絵を描いていた女子生徒たち、絵本作家の読み聞かせに聞き入っていた児童たち、皆でゲームに熱中していたキラキラした笑顔と歓声が思い出された。
金監督は、統一はゆっくりと時間をかけて準備されるものだと、いつどのようにして実現されるかわからないが、準備できた人々がたくさん必要なのだと、日本の一般同胞たちと会った経験を持つ人が多ければ多いほど大きな力となって、政治家の利益が優先されることなく、権力者の思い通りにならないような道を選ぶための力になるのではないかという。北と南に元気でいてほしいと、また会いたいと思う人がいること、そんな出会いの積み重ねが、私たちが願う統一につながるのかもしれない。42
*ソウルでの写真は尹志守氏提供
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