6年目を迎えた 在日朝鮮学生支援会
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金剛保険奨学生第一号として
康彩香・鄭晶喜・朝鮮大学校
心から感謝、期待を応えたい
康彩香・教育学部三年
私の幼いころからの夢は、教員になることでした。特別な理由があるわけではなく、幼稚園からウリハッキョに通い、ウリマルや民族の歴史文化を学びながら、ウリトンムたちと過ごしいるうちに、いつしか私もウリハッキョの先生になりたいと思い始めました。
今思えば、ウリハッキョで教員をしていたアボジの存在、影響が大きかったのだと思います。アボジは大阪で長い間教員をしていましたが、私が高校二年生のときに亡くなりました。
小学生のときは休みになれば一緒に学校に行ったりしてアボジの働く姿を見ていました。教員をするアボジの姿をいつも近くで見ながら、幼いながら憧れを抱いていたのだと思います。そんな幼いころからの夢が、アボジを亡くしてからは、アボジの思いを受け継いで民族教育、ウリハッキョを守っていこうという強い決心に変わりました。
そして私は朝鮮大学校教育学部に進学することを決めました。
この三年間、教員になるために一生懸命学び、人生において忘れることのできないたくさんの経験をし、自分自身を成長させることができました。
そんな中、今回、 二〇一六年度公益財団法人在日朝鮮学生支援会の金剛保険奨学生に選ばれたことを心から嬉しく思い、感謝の気持ちでいっぱいです。
現在、私のオモニもウリハッキョの教員をしています。オモニ一人で私たち兄弟三人の学費をまかなうのはとても大変なことだと思いますが、オモニは私たちの夢をいつも応援してくれます。
今日こうして奨学生に選ばれ、少しでもオモニの負担を軽くできると思うと、選んでいただいた方々への感謝の気持ちとともに、亡きアボジと一緒にオモニに孝行ができるという喜びを深く感じます。
大学で一生懸命学び、民族教育と在日同胞社会を守っていく人材になれるよう努力します。そしていろんな人びとの助けがあることをいつも忘れず、少しでも恩返しできるよう頑張っていきたいと思います。
大学創立六〇周年を迎えた記念すべき年にできた、金剛保険奨学生第一号として、民族教育一〇〇年を目指した新たな一歩を、力強く歩んでいく決心を胸に、これからも皆様の期待に応えていきたいと思います。本当にありがとうございます。
在学中に行政書士の資格を
鄭晶喜・政経学部法律科三年
このたびは金剛保険奨学金の第一回奨学生に選んでくださり誠にありがとうございます。
私は幼稚園から今日にいたるまで、民族教育を受けてきました。その過程ではクラスに私一人しかいないという寂しい時期があり、そうしたことから近くにある日本学校に通ったほうが良いのではと周囲から勧められたこともありましたが、朝鮮学校に通い続けました。
それは、尊敬する先生や、何でも相談にのってくれる先輩、かわいい後輩たちがいるウリハッキョが私にとって、かけがいのない大切な場所であったからです。
私のアボジは、私の母校でもある宇部朝鮮初中級学校で校長を務めその学校が廃校になった後は、山口朝鮮初中級学校の校長として民族教育発展のために励んでいましたが、私が大学二年の時に重病を患い、闘病の末に殉職しました。
アボジの人生をふり返ってみると、民族教育、同胞社会の発展のために尽力した人生であったと思います。
アボジがウリハッキョを守るために、同胞の家を一軒一軒回る姿や、また教師として児童・生徒一人ひとりの話に耳を傾けている姿は、今でも私の脳裏にやきついて離れません。
そうした姿を見て育った私は、アボジのように民族教育、同胞社会に貢献できる人材になることを志して、朝鮮大学校の政治経済学部に入学しました。
私は今後、より一層勉学に励むことで、奨学金関係者の皆さんや、先生方の期待に必ず応えていきたいと思っています。
また、この場を借りて、私が目標としている行政書士の資格を必ず在学中に取得することによって、民族教育、同胞社会に実質的に貢献できる人材となることを誓います。41
平壌からも寄付金? ウリハッキョを守る先頭走者の卒業生として 金日宇・「支援会」顧問
昨年末、支援会から寄付への領収書と税額控除証明書が届いた。平壌で暮らす妹・キュランにもである。
『朝鮮学校のある風景』は無償で快く提供してくださる皆さんの原稿から成り立っている。ただ毎号、平壌での生活の「今」を伝えてくれるキュラニには、何か感謝を表したいと思い、原稿料代わりにと、餅、カレーのルー、コーヒーなどを送っている。そして今回は、その一部を支援会の寄付に回した。
朝鮮学校への差別是正を訴えて群馬のオモニたちが折り鶴を折ったときも、最初に飛んでいって合流したのは彼女の折り鶴だった。そんなキュランの気持ちを「代弁」して、次のような手紙を同封した。
× ×
朝大の工学部で学んでいた一九七二年、いわゆる「二百人部隊」の進学班として帰国しました。
朝鮮戦争で血を流し祖国を守った、戦後の復旧建設も体験せず、民族愛・祖国愛はそこの人びとに勝ることはできませんでしたが、学ぼう、学んで社会主義建設に貢献しようとの向学心だけは劣ってはいませんでした。平壌建設大学に編入し、定年退職するまで発電所の発動機を研究する職場に就きました。今は、娘も息子も家庭を持ち、孫の世話をする平穏な日々を送っています。
日本の情勢が厳しいということ、ウリハッキョの運営が難しいということは聞いています。高校無償化を求めるたたかいを繰り広げていることは、「労働新聞」でも報じられます。
何よりも胸が痛むのは、向学心を強く持ちながら、学びの道が閉ざされるということです。日本の学校に転校する理由の一つが、経済的事情だという話も聞いています。ここに来て、話す、学ぶのに不自由を感じず、今こうして孫をもうけ生活できるのも、ウリハッキョに通えたからです。長く続いた「허리띠를 졸라메고」(ベルトを引き締め)の生活からも解き放されようとしています。
それで、ウリハッキョに多少なりとも助けになればと思い、「原稿料」の一部を託します。こんな気持ちは私ひとりではないと思います。ウリハッキョ・ウリハッセンを支援したいという、帰国同胞は少なくないはずです。そこでもそうじゃありませんか? ウリハッキョを守る先頭走者は、常に卒業生でしょう。熱烈なサッカーファンはコマチュックに、私の兄のように美術愛好家は学生美術展への支援を考えるはずです。
卒業生が母校に尽くそうという気持ち、愛校心はここで暮らす私たちも負けません。
× ×
キュランからは、きっとこんな手紙を送ってくるでしょう。支援会の「顧問」という職責にいながら、十分な役割を果たせなくて心苦しい。公益財団法人である、在日朝鮮学生支援会は、日本のお役所の監査・指導を受けている。お役人さんたちは、平壌からの寄付をどう扱うのでしょう。そんなことも、ふと思っている。 (2017・1・8)41
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