十二年間通じて得た自信とトンムたち 「心一つに」同胞社会を発展させたい
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プロフィール
朴允嬉・李紗瑛さん
公益財団法人 在日朝鮮学生支援会の奨学生
愛知朝鮮中高級学校 高級部三年生
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朝高生だからこその悩み
金淑子出身は?
朴允嬉愛知中高です。
李紗瑛静岡初中です。引っ越したので、寄宿舎生ではありません。
金淑子これまでの学校生活で印象深いことは?
朴允嬉クラブ活動です。コーラス部なんですが、中級部の時に指導してくださった先生との出会いが良かったです。あんな人になりたいなと思っています。中級部の頃の先生ですが、何かあれば今も訪ねていきます。いつでも温かく迎えてくださるので、ありがたいです。
それ以外には祖国訪問です。みんなと一緒に朝から晩まで過ごして、それまで知らなかった良いところとか欠点とかも知るようになって、そんな過程で気持ちが一つになっていくのを感じる場面がいくつもあって、大変印象深いです。
金淑子祖国訪問っていうのは、朝鮮を知るだけじゃなくて、友達同士の関係にも大きな影響を及ぼすんですね。
朴允嬉はい。
金淑子今もコーラス部ですか? 今年の中央芸術祝典での成績はどうだったんですか?
朴允嬉金賞をもらって、優秀作品にも選ばれました。
金淑子印象深いことは?
李紗瑛クラスでの日常やクラブ活動を通じて感じることは多いのですが、最近、高校生になって感じるのは、進路に関する話し合いをする中で悩みを打ち明けたりしながら、こんなことは私たちしか考えないだろうな、在日朝鮮人が学ぶウリハッキョの場合、ほかの学校とは違うんだろうなと思うことがよくあります。友達の話を聞きながら、こういうふうに自分を受け入れるのはウリハッキョだからだろうなと。
金淑子例えば
李紗瑛例えば進路の話をしながら、同胞社会に貢献したいよね、だけど経済的にむつかしいよね、オモニ、アボジは反対だしとか。もちろん一人ひとり違うんですが、そういう意味では共通するところがあって。そういう悩みを共有できることに安心します。ウリハッキョならではの悩みだし、考え方だと思う。
金淑子そういうときに悩む進路というのは具体的にどんな進路?
李紗瑛教員だったり、総連の活動家だったり。ウリナラに行くと、同胞社会に貢献することはやりがいのある仕事だと言われます。確かにそうだと思うんですが。
受け継いで、発展させるために
金淑子活動家になりたいですか?
李紗瑛私は高一の頃までは教員になりたいと思っていました。今はちょっと変わって、朝鮮大学校の外国語学部に進んで、どういう職業かはまだはっきりしていないんですが、同胞社会と海外をつなぐ仕事がしたいと思っています。
金淑子今も在日朝鮮人人権協会では外国語学部の優秀な卒業生たちが、人権問題を海外にも発信したりして大切な活動をしていますよ。
朴允嬉私は、同胞社会をただ受け継ぐのではなく、それをさらに発展させて次の世代にバトンタッチしなくてはと思っています。そのために自分が何をできるのか考えなくてはと。それで朝鮮大学校の文学歴史学部に進もうと思っています。私はウリマル、ウリハッキョで習うウリマルが好きなんです。ウリナラで当たり前に使われているウリマルではなくて、日本の厳しい中で学び継がれて、「子どもたちよ、これがウリハッキョだ」というような在日朝鮮人文学まであるウリマルに強い愛着を感じます。それでまず朝鮮大学校に進んでウリハッキョでのウリマルをしっかり学んで、在日朝鮮人にとってウリマルとは何なのか、ウリマルにどのように接して、学んで次の世代に伝えればいいのかを研究したいと思っています。
金淑子ウリマルは在日朝鮮人の歴史そのものですよね。誰かがそういう研究をしてくれないかなといつも思っていました。でも、さっきも悩みの中で話していたけれど、財政的な問題はいつもつきまといます。家ではそんな話は出ませんか?
李紗瑛うちの両親はやりたいことはできるだけ応援するよという感じで、姉三人も朝鮮大学校に行きました。
金淑子本人としては、経済的な不安とかは感じない?
李紗瑛親戚とかが集まるとそういう話はよく出ます。まだ体験していないので、わかっていないのかもしれませんが、今もそういう中で一生懸命活動している人がいて、そういう先生や活動家の姿を見ながら、かっこいいと思います。経済的なことは大切だとは思うのですが、まずはそういう生き方に目を向けたいなと。
金淑子同級生の中には、経済的な問題で二の足を踏むトンムもいるんじゃないかな?
朴允嬉二つのケースがあると思います、そういう話を聞いたというケースと、本当に厳しい中でそういう体験をしてきたケースと。そういう話を聞いたからはじめから避けるトンムもいれば、厳しい中で育ってそのしんどさを知りながら、葛藤するトンムもいます。
同胞社会を守りたい
金淑子どうして同胞社会を守りたいと思うの?
朴允嬉同窓生たちで「心を一つに」というテーマで祖国訪問したり、討論したりするんですが、「心を一つに」するってどういうことなのだろうと考えてみたんです。二年後の愛知朝鮮中高級学校七〇周年を前に、皆が学校を守りたいと思った時、「ウリハッキョ」「ウリ」という存在を大切にしたいと思って運動したり、同胞社会の将来のために何かしたいと考えるようになったりすることなのかなと。高二の頃までは、ただ学校生活を楽しんでいたのですが、高三になって自分たちの十年後の姿を描いたりしながら、同胞社会について考えるようになったし、みんなで心を一つにして守っていけたらいいなと考えるようになりました。
李紗瑛運動会とか学校祭とか、いろんな行事を準備していると、いろんな事件が起きたり言い争いになったりして、そんなことを繰り返しながら、一緒に頑張ろうということになります。同胞社会は思いやりで成り立っていると聞いたことがあるのですが、そういうコミュニティの役に立ちたいと思います。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」というスローガンが本当に現実になった瞬間、そういう集団に属していられる自分は幸せだなと感じるし、これからも皆が同じ気持ちでいられて助け合えたら、心強いなと感じます。自分の子どもの世代もこんな心強さを準備できたらなと思います。
金淑子二人が夢を実現したときには世界が広がって、同胞社会だけではない、例えば日本の大学の大学院の友人だったり、会社の同僚だったり、他のコミュニティにも属することになります。そんなとき同胞コミュニティはどんな存在になると思いますか?
朴允嬉帰ってきたというような感じだと思います。私は幼いころからピアノを習っています。周りは日本人の子どもばかりで、中には「どこで生まれたの?」から始まっていろんなことを最後まで聞いてくれて、私を理解してくれる親しい日本人の友達もいます。それでも生活の中で感じることや悩みは違います。ウリハッキョの友達も悩みはそれぞれ違うけれども、根っこの部分で通じるところがあって、説明しなくてもわかってもらえることがたくさんあります。だから将来ほかのコミュニティにも属するようになるだろうけど、同胞コミュニティは別格なんじゃないかなと思います。
李紗瑛同胞社会の中では知り合いが多くて、オモニとか家族のことまで知っている人が多くて。
金淑子たまに息が詰まりそうになることはない?
李紗瑛まあ、なくはないんですが、でも甘い考えだといわれるかもしれませんが、辛い時に助けてもらえる、温かく見守ってくれる。そういうのがないと人は生きていけないんじゃないかと思います。
無償化制度の適用を求めて
金淑子朝鮮高級学校への無償化制度適用を求めて運動していますよね。今、この制度から朝鮮学校だけが除外されていることをどう思う?
朴允嬉悔しいし、憤りを感じます。
金淑子除外されたと初めて聞いた時どんな気分だった?
朴允嬉初級部六年生の頃だったので、よくわかりませんでした。ところが高校三年生だった兄の卒業式に参加して、無償化の問題を高二や高一の後輩たちに残したまま卒業することになって申し訳ないと話している兄の姿がすごく印象的でした。普段家では無責任な兄だなと思っていたのに、こういう晴れの場で後輩たちに「すまない」と言っていることが衝撃的でした、こんな側面もあるんだと。兄だけでなくて、卒業生誰もが「すまない」って言っていたんですよね、心から。あの時はちょっと驚いたんですけれど、今同じ年になってみて、こんな気持ちだったんだなあと思います。初級部の頃は大人たちが守ってくれていたけれど、高校生になって、こんな現実も当事者として受け入れなきゃいけないのかと。あの時の兄はこんな現実に対して、もっと頑張らなくてはと思って朝鮮大学校に行ったんだろうなと、今は思います。
金淑子無償化問題で一番腹立たしいことは何?
朴允嬉日本政府の中心にいる人たちが、植民地の歴史を知りながら、消そうとしていること、意図的に。私たちの要求についてもわかっていながら、無視しようとしていること。それと街頭でビラをまいたりしたときに、何もわからないで、暴言を吐いたり、非難したりする人がいること。でもそれが許されるこの社会って何なのだろうとも思います。腹が立つというより、何なのだろうと。
李紗瑛昔から在日朝鮮人を弾圧しながらまだ足りないのかと。いじめだと思います。国家がいじめをしているのに、学校でいじめがなくなるはずがないと思います。無償化の適用を求める運動をしながら、ウリハッキョについて全く知らない人が多いことを知って、それについても矛盾を感じました。日本が生み出した負の存在について、そういう歴史について当事者の国民たちが知らないというのはどういうことなんだろうと、もっと知ってほしいと思いました。
金淑子街頭宣伝にはよく出るんですか?
朴允嬉三年間で六回ほど経験しました。
金淑子街頭に出るのは怖くない?
金淑子これからどうする?
李紗瑛今は高校生という立場で運動しているので、街頭宣伝とか、裁判への参加とか。これからはもっといろんな働きかけをしたいです。長引けば長引くほど被害者は多くなるので、もっと効果的に働きかけられないかと考えます。
朴允嬉ビラをまいたり裁判を傍聴したりしながら、私たちのことを知らない人が多いことを知りました。ビラは問題を知るきっかけになるかもしれないけれど、ビラを通じて話ができるわけでもなく、私たちのことを本当に知ってもらうことはできません。今は五三人(同学年の生徒たち)の仲間がいるけれど、朝鮮大学校に行けば全国のトンムたちとつながるし、東京でアルバイトをするようになれば日本人のアルバイト仲間もできるし、就職をすればまたそこで知り合いができて、世界がどんどん広がっていくと思う。そうして世界を広げながらいろいろな人との関係を大切にして私たちのことをしっかりと理解してもらいたい。高校無償化がウリハッキョに適用されるようになっても、助成金の問題もそうだし、まだ問題は山積みで、引き続きオモニ、アボジがやってきたように一つずつ解決していかなければいけないと思うから。
両親への感謝
金淑子卒業するとそれぞれの道を行くことになりますね。進学する生徒が多いのですか?
朴允嬉李紗瑛就職が五人で、あとは朝鮮大学校か日本の大学、専門学校です。
金淑子進路を選ぶときに、経済的自立ということも課題になると思いますが、家でそんな話は出ますか?
朴允嬉うちでは、三人の兄の前では意識的にお金の話はしなかったようです。兄は三人とも朝鮮大学校に行って総連の活動家になりました。上の三人がそうしたんだから、一人娘のあなたまでそうすることはないでしょ、ということで、私の前では意識的にお金の話をします。こんなに大変なのよと。それでも私は上の兄たちに比べてピアノを習ったり、舞踊を習いに行ったこともあったし、塾にも通ったりして、いろんなことを習って、将来いろんな夢を見られるように厳しい中でも道を広げてくれたんだと思います。始めは何で私の前でお金の話をするんだろうと思ったこともあったけれど、今は逆にそんなに大変な中でウリハッキョに送ってくれたんだなあと。同胞社会を受け継いで守ることはやりがいのあることだから、大変だけどウリハッキョに送ってくれたし、そういう中で自分は何を学ぶべきなのかなと考えるようになりました。ただ楽しむだけではなくて、先生の姿や学校を支える同胞の姿に敏感に接するようになったと思います。大変な中で送ってくれたウリハッキョに対しても、そんな話を聞くともっと大切に思えるようになったし、もっと広い視野でとらえるようになったと思います。私は、ウリマルでトップクラスと言われるくらいまで頑張れば、経済的な問題も乗り越えられるのではないかと思っています。
李紗瑛幼い頃から例えば私が「このお菓子買って」といった時にオモニは「お金があってダメって言っているんじゃなくて、本当にないの」って笑いながら言い訳していました。そんなことを通じて家の状況はわかっていました。姉たちはみな朝鮮大学校に行って、長女は総連の活動家をしているんですが、やはりお給料がちゃんと出なくて。オモニが「こんなに苦労してようやく卒業したと思ったらお給料が出ないところで働いて」とつぶやくのを聞いて、「ほんとにね」と思います。本当はいろんな習い事をさせて塾にも通わせたかったのに「ごめんね」と言われて、何かすごくすまない気分になったりして。そういう話を聞いたり、そういう姿を見るたびに、しっかり頑張って何倍にもして返さなくてはと思います。
一二年間で培った自負
金淑子今、生徒数が減少していますが、同級生たちの間で今後のウリハッキョについても話題になりますか?
朴允嬉まず私たち五三人が途切れることなく、学校を守ろうという気持ちを忘れないようにしよう、そうすれば誰かがつらい時に互いに助け合うこともできるし、関係が切れないようにしようという話はよくします。具体的な方法はまだわからないですが。
金淑子同級生の中に日本の学校に転校していった生徒はいる?
朴允嬉名古屋初級学校出身なのですが、初級部の頃から考えると九人の同級生が日本の学校に転校していきました。将来の夢を実現するためだったり、両親の意思だったり。初級部六年まで一緒だったトンムとか、中級部まで一緒だったトンムとは今も連絡しています。
李紗瑛静岡は生徒数が少ないので多くはないですが、初級部に入学したのが五人で、その後中級部に上がるときに一人抜けて、新たに一人入ってきたけれど、高級部に来るときに二人が日本の学校に行きました。今一緒にいるのは三人だけです。
金淑子静岡の場合は通えないので、寄宿舎に入ることになりますよね。それで日本の学校に行ってしまう場合もあるのかな?
李紗瑛愛知の場合は、寄宿舎での生活に先生たちの目が行き届いていて、ぜひ入れたいという親もいます。一方で、遠いし、離れて暮らすのは心配だという親もいます。
金淑子一二年間民族教育を受けてどうだった?
朴允嬉自分がこういう考えを持つようになって、こういう考えというのは在日朝鮮人しかできない考え方なんですが、そのことについて自負を持てるようになりました。それは初級部六年間の民族教育では無理だし、一二年間民族教育を受けたおかげだと思います。トンムたちと一緒に悩みを打ち明けたり励ましたりできるのも、学校生活はもちろん、家で両親と学校のことを話したりするときにその中にいつも同胞がいるのも、何もかも、民族教育を受けてきたおかげだと思う。ありがたいというか、私にとって民族教育はかけがえのない唯一無二のものです。それを自分が受けられたから終わりではなく、受けられないで自分のルーツについて知らないまま過ごしている同世代の同胞も多いので、民族教育をもっと活性化したいと思います。
李紗瑛ウリハッキョで貴重な経験をたくさんしました。人との出会いもそうだし、クラブ活動もそうだし。いいことだけではないけど、苦労したことも何もかも大切に思えるようになったのは、ウリハッキョの民族教育だったからだと思うし、ありがたい。何よりも、自分自身に自信が持てたことに感謝しています。将来、苦しいことがあっても在日朝鮮人のハングリー精神というか、同胞の歴史や生きる姿をウリハッキョで学んだので、まだ経験していないけれど、最後までやり遂げられるという自信を持てるようになりました。
インタビューを終えて
金淑子・編集部
一一月(二〇一六年)中旬、公益財団法人「在日朝鮮学生支援会」の朴点石常務理事から、「ウリハッキョで学ぶ生徒たちの姿を伝えて支援の輪を広げたい。二一日に愛知朝鮮中高級学校で奨学金の伝達式があるので来ないか」という連絡を受けた。「ならばインタビューを」とお願いし、急遽、同校を訪ねた。未成年と言うことで、写真や名前はもちろん、掲載の是非も原稿を見た上で本人と保護者、学校側の判断に任せることにした。高校生の話をじっくり聞く機会はほとんどない。掲載できなくても今の朝鮮学校生徒たちを知るまたとない機会だった。
インタビューに先立ち、高級部二年生の教室を回った。授業を終え、ホームルームを前に廊下や教室を忙しそうに行き来する生徒やふざけ合う生徒たちが、男女問わず「アンニョンハシムミカ」と声をかけてくれる。手作りの壁新聞も学校ならではの風景だ。ホームルームに先立ち、無償化裁判を傍聴してきた三年生たちの報告が行われた。裁判ごとに、参加した生徒たちが交代で、各教室で報告するらしい。十代の生徒たちが、ほかの学校の生徒たちと同じ権利を求めて、祈るような気持ちで裁判を見守っている。真剣な彼らの表情が切なくて、これが差別でなくて何なのだろうと、日本社会への腹立たしさがこみ上げた。
その後一階の応接室でインタビューした。質問はすべてぶっつけ本番だった。現実的で不躾な質問にも、生徒たちは戸惑うことも、詰まることもなく、じっくり考えを巡らせるように一言一言しっかりと答えてくれた。
「ウリハッキョの友だちも悩みはそれぞれ違うけども、根っこの部分で通じるところがあって、説明しなくてもわかってもらえることがたくさんあります。だから将来ほかのコミュニティにも属するようになるだろうけど、同胞コミュニティは格別なんじゃないかな」(朴允嬉)「つらい時にも助けてもらえる、温かく見守ってくれる。そういうのがないと人は生きていけないんじゃないか」(李紗瑛)という同胞社会への信頼。
「日本政府の中心にいる人たちが、植民地の歴史を知りながら、消そうとしていること、意図的に。私たちの要求についてもわかっていながら、無視しようとしていること。それと街頭でビラをまいたりしたときに、何もわからないで、暴言を吐いたり、非難したりする人がいること。でもそれが許されるこの社会って何なのだろうとも思います。腹が立つというより、何なのだろうと」(朴)「ウリハッキョについて全く知らない人が多いことを知って、それについても矛盾を感じました。日本が生み出した負の存在について、そういう歴史について当事者の国民たちが知らないというのはどういうことなんだろう」(李)という日本社会への不信。
「家で両親と学校のことを話したりするときにその中にいつも同胞がいるのも、何もかも、民族教育を受けてきたおかげだと思う。ありがたいというか、私にとって民族教育はかけがえのない唯一無二のものです」(朴)「将来、苦しいことがあっても在日朝鮮人のハングリー精神というか、同胞の歴史や生きる姿をウリハッキョで学んだので、まだ経験していないけれど、最後までやり遂げられるという自信を持てるようになりました」(李)という十二年間の民族教育への感謝。
先日亡くなられた鳥取大学の仲野誠先生は学美の先生への手紙で「私が見る限り、学美の凄みは『自分が能動的に関わって知を生み出している/知を更新し続けている』というダイナミズムにあります。…自分にとって大切なことを誰か他の人に任せるのではなく、『自分の人生は他の誰も生きてはくれない』という気概のようなものも学美には感じます」と書いているが、 今回のインタビューでは、その「気概」を再認識させられた気がした。生徒たちは、学校で学んだ内容と家庭で聞いた話、そして自信を取り巻く日本社会の情報を能動的に消化し、たえず「知」を更新しているように見えた。
そんな彼らが、日本社会で少しでもスムーズなスタートを切れるよう、私たちではなく、私は何をできるのか、「能動的に」小さなことからできることをしっかりと積み重ねていかなくてはと、改めて考えさせられた。41
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