創立60周年迎えた朝鮮大学校:施設建設に 励んだ 先輩たち(続・寄宿舎編)
スポンサードリンク
スポンサードリンク
「汚水が…汚水が流れているぞ!」
現場での作業で、朝大生にとって忘れられない一つのエピソードがある。
男子寮の建つ現場の地下には一本の汚水配管が数十メートルの長さで横たわっていた。この汚水配管を取りはらわねばどうしても地盤を固めることができなかったのだ。
現場責任者の金先生は、その汚水配管を、建設される男子寮の裏側に移動させることを学生たちに指示した。この作業を受けもったのは、政経二年の学生たちであった。
その日はあいにく強い雨が降った。周囲は瞬時のうちに泥沼となった。ちょっとでもつまずこうものなら、それこそドブネズミである。工事は、作業がはじまって以来、はじめての難工事であった。とはいえ、負わされた作業はどうあってもやり遂げなければならない。作業を遅らせ、全体の計画を狂わすことは、かれらにとってはがまんのならないことだった。雨はなさけ容赦なくかれらをたたきつけた。
工事に取りかかって三日後、汚水配管を無事指定の場所に移しかえることができた。ところがどうしたというのだろう? 試験的に流した水が流れないのである。試験は何度も繰りかえされた。しかし結果は同じだった。学生たちは両方のマンホールに首をつっこんで、流れぬ汚水をうらめしそうに見合った。工事に欠陥があったのだろうか? 配管の中に障害物があるのだろうか? 学生たちは意気消沈した。
日は暮れていった。学生たちは夜更けまで寝つかれなかった。寝返りをうちながら、学生たちは工事の過程をもう一度検討してみた。
翌日の朝方、心配でねつかれなかったある学生が、夜露にぬれた現場を歩いていた、マンホールへと…。学生は、朝焼けに照らされたマンホールの中を、そっとのぞいてみた。ところがどうだろう。マンホールの汚水は静かに静かに動いているではないか!
「流れている…汚水が、汚水が流れているぞ!」
学生は大声を張りあげながら寮へ駆けていった。
わたしは変わった…
汚水配管の移動工事は高度の技術を要求するというものではない。その意味ではなにも騒ぐに値するものではないわけだ。しかし、困難を極めた後の成功だけに、朝大生に大きな自信と勇気を与えたようだ。
このことがあった後の朝大生の建設への意気は、天をつかんばかりのものがあった。交代の日が待ちきれず、放課後に作業服を着て現場に現れる学生が続出する始末だ。年末年始には合計一〇〇名の学生が自主的に学校に残って作業に参加した。時には先生方も暇をみて作業に参加する。
現場には、日本の労務経験者が十数名いる。かれらの仕事とは、主に朝大生のできない専門的な面を担当している。かれらは、自力で寄宿舎を建設しようとする朝大生に感嘆の言葉を惜しまない。こういった朝大生の熱意が「他人のもの」をつくるという意識から「自分のもの」をつくる、「ほんとうの現場」だという気持ちをかれらに持たせた。
この寄宿舎が落成をみ、祝賀会が行われるであろう感激の日に、朝大生にとって忘れられない人びとを、ここにしたためておかなければならない。
年が明けた一月七日、朝青(在日本朝鮮青年同盟)の支部旗を先頭に、九十二名の東京に在住する青年男女が応援に駆けつけたということである。応援にきた東京朝青の大部分は、朝大生と同じく、建築の技術も経験も持っていなかった。しかし、かれらとて寄宿舎は必ず建築されるだろうということを疑わなかった。現場では、「千里の駒は駆ける」の歌が一日中響きわたり、はためく朝青旗の下で、朝大生と東京朝青の青年たちの作業は活気をおびていった。「朝大寄宿舎建設朝青東京応援団」は、これからも応援を惜しまないというし、新年になってまだ間もないというのに今度は朝鮮高校の学生たちが応援に来るという話もある。
自力で寄宿舎を建設する中で、朝大生はいろいろな面で変わったし、変わりつつある。文学部一年の金敏子トンムの語る、次の話の中に、朝大生の意気を端的にうかがうことができよう。
「正月に、わたしは日本の高校時代の同級生に会ったんです。あまり懐かしかったんで、わたしたちは夜更けまで話し合ったんです。相手の話も聞きながら、わたしはわたしたちの学校で行われていることを話しました。ところが彼女がそれを信じてくれないんです。『優等生を七〇パーセントですって? あなたたちが寄宿舎を建てるんですって? そんなことできるわけないじゃないの!』っていうんですよ。わたしは、どういうふうに言ったら信じてもらえるのかと考えたんですが、それがうまく言い表せない。考えてみれば、信じてくれないのも無理ないかも知れません。わたくしたちはすでにそういうのが当たり前のことで騒ぐにあたらないものと思っているのですから…。むしろ、他人が『信じ』てくれないものを、当たり前のことと思うようになったわたしは、随分変わったと思いました。」
「で、優等生七〇パーセントや寄宿舎建設など、ほんとうに、期限前にできると思いますか?」
関係者の話を聞き、現場をつぶさに見ながらも、わたし自身なにか心にひっかかるものがあったので、一番聞きたいことを思い切って口に出してみた。
「できないと思いますか?」
彼女は微笑を浮かべながら聞き返した。「あなたも信じてくれないんですね」と言われんばかりである。わたしは、わたしの心の不純さを恥じながら、ヤボな質問をしたものだと顔がほてってきた。(文責編集部)39
スポンサードリンク
○寄宿舎編・上*本誌37号に収録
- ルポ・寒風はねのけ寄宿舎を私たちの手で! 「朝鮮大学新聞」(1962・1・20)
- リポート・新入生たちに不自由ない生活を 「朝鮮大学校新聞」(1962・5・20)
○寄宿舎編・下*本誌38号に収録
- 学長報告・工期を短縮、建築費三千万円近く倹約 「朝鮮大学新聞」(1962・5・20)