東京朝高18期生の往復書簡(東京⇌平壌 その22)
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もくじ
- 1 同級生とのひと時は不老長寿の薬
- 1.1 렴수소(リョム・スソ)☇みんなに
- 1.2 김명숙(キム・ミョンスク)☇一八期のみんなに
- 1.3 박민순(パク・ミンスン)☇렴수소(リョム・スソ)
- 1.4 현명실(ヒョン・ミョンシル)☇렴수소
- 1.5 김정령(キム・ジョンリョン)☇렴수소
- 1.6 방수미(パン・スミ)☇렴수소
- 1.7 조광숙(チョ・グァンスク)☇렴수소
- 1.8 리순애(リ・スネ)☇렴수소
- 1.9 손월선(ソン・ウォルソン)☇렴수소
- 1.10 손일호(ソン・イルホ)☇렴수소
- 1.11 신춘미(シン・チュンミ)☇렴수소
- 1.12 박정애(パク・チョンエ)☇김일우(キム・イルウ)
- 1.13 방수미(パン・スミ)☇김일우
- 1.14 조광숙(チョ・グァンスク)☇김일우
- 1.15 박민순(パク・ミンスン)☇김일우
- 1.16 고대천(コ・デチョン)☇김일우
- 1.17 고철삼(コ・チョルサム)☇김일우
- 1.18 조성현(チョ・ソンヒョン)☇김일우
同級生とのひと時は不老長寿の薬
平壌、清津、咸興、元山、沙里院、平安南道など、共和国の各地で暮らす東京朝鮮中高級学校一八期(一九六五~六八年)同級生との手紙のやり取りが始まって六年が過ぎた。「いつか平壌でも同窓会を」との思いを込めてである。
今回は、同級生の東京朝高のシン・ギルン校長が卒業生を引率して平壌を訪れた際に託したリョム・スソトンムが共和国で暮らす同級生に宛てた手紙と持ち帰った手紙(抜粋)を紹介する。 [ ]内は整理者による。(金日宇)
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렴수소(リョム・スソ)☇みんなに
祖国で暮らす一八期の同級生のみんなに
お元気でしたか? たくさんのトンムから年賀状をもらいながら返事を送れずごめん。チョ・ソンヒョン、ソン・イルホ、パク・チョンエ、ハ・ジョンスク、パン・スミ、ソン・ウォルソン、アン・ミョンスクありがとう。キム・ゲファ、手紙ありがとう。眼を患っているとキム・ジョンリョントンムが書いていたが、心配です。
悲しい知らせを。キム・ヨンスン(おばば)、チョン・ジング、ナム・スニ、リム・ミンジュン、チェ・パクミョンが亡くなりました。残念です。
キム・ミョンスク、初孫が生まれたって? おめでとう。娘さんのヘリムとヨンリムからの手紙も届きました。チョ・ゴンスクトンムにトンムからの手紙を渡しました。
キム・ジョンリョントンム、パク・エジャは今前橋で一人暮らしをしているが、時々チョ・ゴンスクと一緒にお茶に行ったり、食事をしたりしています。キム・ギョンスクにもトンムからの手紙を見せました。
パク・ミンスントンムとは、北関東のウリハッキョの時、一年間、同じ教室で勉強しましたね。覚えていてくれてありがとう。私も切れ長の朝鮮美人だったと、トンムのことを記憶しています。
今度、シン・ギルントンムが祖国を訪問して、トンムたちと会うというので本当にうれしい、シントンムだからこそできることです。何度感謝しても感謝しきれません。シントンムがいつまでも校長職に就いていられればと願います。もうひとつうれしい話があります。同窓会の幹事長で、共和国の人民俳優ファン・ギョンラクトンムが七月二〇日に、芸能活動五〇年を祝う記念公演を行うことになりました。そこからも応援よろしくお願いします。
私にも一〇人の孫が、六人がウリハッキョに通っています。初五、四、三、二年、二人が一年生です。運動会や学芸会、授業参観は欠かさず学校に行って、幸せなひと時を送っています。
それではみんな、健康で幸せに。
二〇一六・六・一五
リョム・スソ
김명숙(キム・ミョンスク)☇一八期のみんなに
懐かしいトンムたち、お元気ですか?
私は北関東出身のキム・ミョンスクです。祖国に帰国したわたくしたちをいつも忘れず、関心を持ってくれてありがとう。共和国で暮らしながら、互いに知らずに月日を送ってきたわたくしたちが会う機会を作ってくれたのが、シン・ギルン校長、日本にいる一八期の同級生でした。青春がよみがえるような、大きな感激に包まれています。
これ以上歳をとる前に統一した祖国の地で、夜を徹して話をしたい、いつも会いたいトンムたちです。いつまでも変わりなく、祖国にいるわたくしたちを忘れずいてありがとう。お互いいつまでも健康でいましょう。
二〇一六・七・九
キム・ミョンスク
박민순(パク・ミンスン)☇렴수소(リョム・スソ)
シン・ギルントンムを囲んで楽しいひと時を送りました。
北関東のウリハッキョに通って本当によかった。私は初級部の五、六年と中級部一年の一学期までいて、アボジの仕事で東京中高に転校しました。スソトンムとは、朝高で何度か顔を合わしましたが、言葉を交わしたことはありません。ケファ、ミョンスク、ジョンリョンたちとも帰国してよく会うようになりました。
私は高級部三年の時、師範科に行って、東京第八、東京第一で教壇に立ち、一九七四年に帰国しました。
スソトンム、平壌でみんなと会える場をつくってくれてコマッスムニダ。また、手紙出します。
二〇一六・七・一〇
皆との食事を共にしながら パク・ミンスン
현명실(ヒョン・ミョンシル)☇렴수소
東京第五出身のヒョン・ミョンシルです。同窓会の写真で顔を知っていますが、一度も話したことがありませんね。統一すれば会えるでしょう、何時か会えることを楽しみにしています。
家族の皆さんの健康を願い、感謝の手紙とします。
二〇一六・七・一〇
ヒョン・ミョンシル
김정령(キム・ジョンリョン)☇렴수소
懐かしいスソトンム、今回も気遣ってくれてありがとう。
祖国で暮らすケファもミョンスクもこの年になるまで大病もせず、元気です。家族の面倒をみながら、毎日のように電話で話したり、遊びに行ったりしています。
スソトンムとも会ってみたいですね。手紙でこう話せるだけで幸せです。
家族の皆さんにもよろしく。いつまでも健康で、これからも手紙を書きます。
ジョンリョンより
二〇一六・七・一一
방수미(パン・スミ)☇렴수소
日本もとても蒸し暑いようですね。
シントンムを通じて、手紙をもらいました。スソトンム、アン・ニョンワントンム、オ・ベックントンムたちが財政的に支えてくれているとの話も聞きました。東京朝高を卒業して四八年がたつというのに、私たちの友情は歳月の流れと共にもっと深くなるようです。
孫が一〇人もいるなんて、羨ましいです。私には息子も、孫もいません。
シン・ギルントンムを通じてトンムたちの写真を見ています。みんなおじいちゃんになって…わたくしたちもですが。あの朝高時代が昨日のようだというのに。歳月の流れは速まるばかりです。人生は、つかの間のようです。一八期同級生の懐かしい姿をいつまでも大切にしようと思います。
スソトンムの健康と家族の幸せを願っています。
二〇一六・七・七
パン・スミ記す
조광숙(チョ・グァンスク)☇렴수소
朝高時代、顔も知らなかった私たちへの誠意に感謝です。
帰国して半世紀近い歳月が流れましたが、一八期のトンムたちのお陰で、年に一回、多いときは二回、楽しい場を共にすることができます。毎年、年をとるのではなく、若返っています。不老長寿の薬です。
家族の皆さんの健康を願い…。
二〇一六・七・一〇
チョ・グァンスク記す。
리순애(リ・スネ)☇렴수소
わたしは一九六八年に朝高を卒業(三年一三班)し、結婚するまで朝銀で七年働き、一九七七年一〇月に二歳の息子を連れて夫と帰国しました。一九七六年、新宿で行われた第一回同窓会には参加しました。
東京朝高、ここで総連組織を担う人が育つと思うと、一八期卒業生であることを誇り、シン・ギルン校長に感謝します。
七月二〇日に、人民俳優のファン・ギョンラクトンムが芸能活動五〇周年記念公演を催すとのことです。祖国で暮らす同級生皆が一生懸命応援します。
平壌で同級生たちが集まるたびに、力が湧きます。もっと力強く生きようとの思いを強くします。本当にありがとう。
二〇一六・七・一〇
リ・スネ記す。
情で始まり、情でつながる一八期卒業生の皆にあいさつを送ります。
손월선(ソン・ウォルソン)☇렴수소
卒業時は七班、三多摩出身。陸上部でいつも運動場を走っていました。
スソトンム、今度も祖国で暮らす私たち一八期同級生のために尽力してくれてありがとう。祖国にはたくさんの朝高卒業生が暮らしていますが、わたくしたちのように日本にいるトンムたちの愛を身近に感じているものはいません。みんなに羨ましがられています。
日本にいる同級生が祖国で暮らす私たちに関心を持ち続け、シン校長が「虹」のように橋の役割を担ってくれています。
一八期卒業生の誇りを忘れず、暮らしていきます。
トンムの健康と家族の幸せを願います。
二〇一六・七・一〇
ソン・ウォルソン
손일호(ソン・イルホ)☇렴수소
手紙受け取りました。日本で暮らすトンムたちのこと、ファン・ギョンラクトンムの芸術活動五〇周年のニュース、それから一〇人の孫の大部隊話、ほんとうにうれしい便りでした自分の子どもを育てるより、孫がもっと可愛らしいといいます。大変でしょうが、六人をウリハッキョに送っている、誇らしいことです。
シン・ギルン校長と会うたびに、嬉しく、力と勇気をもらっています。スソトンムが書いてきたように、シントンムに何回感謝しても足りません。シントンムが来なかったら、ここでも同級生だとしても顔も知らずに過ごしていたでしょう。シン校長を囲んで朝高時代を懐かしく振り返りながら、同級生の絆が強まりました。それから卒業後、一度も会ったこともないわたくしたちを忘れず、気遣ってくれるトンムに感謝します。
私は、昨年退職して、隠居生活に入りました。何もすることがなく家でゴロゴロしていましたが、ボケが心配になって、英語の家庭教師を始めました。今は、二人ですが、自分なりにテキストや単語帳をつくり、ボケ防止になっているようです。いつも青春の気迫と情熱を失わず、息子と幸せな家庭のために、みんなと会う日のために長生きをしようと思います。
スソトンムも元気で!!
二〇一六・七・一〇
ソン・イルホ(グアンナム)
신춘미(シン・チュンミ)☇렴수소
私は五年生のときに第一に編入して、一九六一年、六年の時帰国しました。三年前にシン・ギルン校長と五〇年ぶりに出会い、東京朝高の一八期生ではありませんが、一緒に参加しています。プレゼントももらい、美味しく食べ、楽しいひと時を送りました。
異国の地の厳しい生活の中で、ここのトンムたちを忘れることないトンムの真心に感謝します。
年はとっても祖国の富強建設に少しでも貢献することが、トンムたちの誠意に報いることだと思っています。
健康と家族の幸せを願います。
シン・チュンミ記す。
二〇一六・七・一〇
박정애(パク・チョンエ)☇김일우(キム・イルウ)
手紙は五月六日に着きました。忙しいのに、いろんなことを書いてくれて、いつものように面白く読みました。オモニはお元気ですか? 九〇歳ということは一九二六年生まれですか? 私のオモニが健在なら同じ年です。イルウトンムがオモニを病院に連れて行ったり、一緒に買い物に行ったりしているとの話が少しうらやましいです。オモニがいつまでも健康に長生きされることを祈ります。
ブログに書かれた東京一八期幹事会の新年会の話も面白く読みました。[共和国で暮らす同級生に送った四月一五日付の手紙は本誌37号211~214頁に、同封した新年会のブログのコピーは36号99~100頁に掲載]
シン・ギルン校長ら一八期の同級生の活発な活動を聞くと、一日一日を無駄なく過ごさなくてはならないという気持ちを強くします。
元気でいれば会うこともあると思います。健康でいましょう。
パク・チョンエ記す。
二〇一六・七・一〇
방수미(パン・スミ)☇김일우
返事を書けずミアナムニダ。オモニは元気にしていますか?
日本では一〇〇歳以上の長寿が五万人を超えるとか、驚きです。ここでも六五歳以上の高齢者が目立つようになりました。そして若い夫婦が子どもを一人しか生まないので、人口比で高齢者が多数を占めるようになりました。ここでも高齢化・少子化が促進しているようです。
わたくしたちも高齢者に! 余生を大切に、何かをしなければとの考えを一〇回、一〇〇回しますが、実践するのは難しく…。
イルウトンムは『朝鮮学校のある風景』を出し続けてください。素晴らしいことですから。ここで暮らすみんなも願っています。
イルウトンムもいつまでも健康で、オモニも一〇〇歳の長寿者になってください。そんなこと願いながら、ペンを置きます。
パン・スミから
二〇一六・七・七
조광숙(チョ・グァンスク)☇김일우
手紙ありがとう。トンムからの手紙は私の活力になっています。
六月に貸し切りバスでリョンアクサン[龍岳山]に行ってきました。ヒョン・ミョンシル夫婦、パク・チョンエ夫婦、そして私とコ・ファソントンム…。踊って、歌って、最後は賞金まで!
踊りが上手になったと、コ・ファソントンムが褒めてくれました。朝五時に起きて、公園に行って体操をして、踊ったおかげだと思います。公園にはヒョン・ミョンシルトンムも来ます。彼女は舞踊家の娘に習い、踊りも上手です。
「歳月は流れるもの」の歌詞のように、老いを退け、青春を謳歌するわたくしたちの生活です。資本主義の日本の地で、何かに追われ生活するトンムたちにすまない気がします。
年を取るたびに若さを維持したいという気持ちが切実になります。トンムが送ってくれる手紙は私に若さを甦らしてくれます。
いつまでも健康で。
二〇一六・七・一〇
チョ・グァンスク
박민순(パク・ミンスン)☇김일우
手紙、うれしく読みました。平壌ホテルでシン・ギルン校長を囲んで楽しいひと時を過ごしました。シントンムが来るというだけで、うきうきします。
オモニについて関心を寄せてくれてコマッスムニダ。やはり一人暮らしなので心配です。ここに来て暮らしてもいいのですが…。ひと月に一回は電話をしています。板橋の女性同盟でも時々訪ねてくれているようです。赤羽のイルウトンムから電話があると…これからも時々電話をしてあげてください。
それでは。
二〇一六・七・一〇
パク・ミンスン
고대천(コ・デチョン)☇김일우
何回も手紙をもらいながら、夫が脳溢血で右手に麻痺がきて、返事を書けずにいました。夫に代わって書いています。
シン・ギルン先生を通じて、イルウ先生が物書きだという話を聞きました。執筆は老化を防止し、同級生の記録も残せ、とてもいいことだと思います。これからも書き続けてください。
私は夫の健康回復のために全身全力を傾けます。
二〇一六・七・六
コ・デチョンの妻キム・ジョンヒャン
고철삼(コ・チョルサム)☇김일우
返事を書けず、ミアナムニダ。書くのがとても苦手です。
平壌第一病院の手術課課長を四年前に引退しました。今は、家で孫の世話をしながら、暇な日々を送っています。
これからは手紙を書こうと思いますが…。
コ・チョルサム
조성현(チョ・ソンヒョン)☇김일우
四月の手紙、五月一八日に届きました。平壌で暮らすパン・スミトンムが四月に受け取ったというので、咸興にはいつ届くのか楽しみにしていました。面白ろかった。うちの家族もイルウトンムからの手紙を楽しみにしています。家族が集まり、私が一ページ読むと次は妻が、そして娘が読みます。郵便配達員も日本からの手紙だと、羨んでいます。
東京第二の七〇周年記念イベントの話…キム・シニ、ソン・チョル、キム・テユン。なつかしいトンムたちの顔が浮かびました。二番目の姉が枝川に嫁に行ったので、小学生のころよくそこに遊びに行きました。台風が来ると、床上まで水があがってきて大変な思いをしました。今は、そんなことはないのでしょう。キム・テユンは悪戯っ子でした。みんな懐かしいトンムたちです。イルウトンムの手紙を読んで、そんなトンムたちと会えたような気がしました。
私は一線から退き二年になります。平屋の一軒家なので、庭で野菜を育て、七本の果実の木の世話をしています。五月にはウメ、六~七月はブドウ、一〇月にはカキができます。片隅で飼っている鶏は卵を…。真っ赤に咲いたバラを見ながら、手紙を書いています。
何日か後には、シン・ギルントンムに会いに平壌に向かいます。毎年六月か七月、彼を囲んで同級生が集まるのが恒例になっています。周囲の人、帰国者が羨みます。
年月が流れ、祖国での生活は四三年になります。こんなに離れているのに、手紙をくれたり、会いに来てくれたりする同級生に感謝しきれません。
オモニによろしくお伝えください。
咸興で 二〇一六・六・二一
シン・ギルン校長に託します。39
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