会って、話して、理解しあえる社会を目指して
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生身の在日朝鮮人との出会い
朝鮮語の先輩の中には社会と関連を持って、在日韓国人政治犯の救援活動やっている人たちがいて、一回生のころから「藤井君も行こうよ」と誘われて、誘われるままに集会などに行きました。
「民主化」とか「南北統一」とか「軍事独裁政権打倒」とか、むずかしいことはわからないけど、終わったら二次会に行くんです。急に大人になったような気分で、たまたま前に座っている男性が、「俺は五時までは生活のために通名で日本の会社で働いているけど、五時からは俺の時間やから、本名で民族運動やってんねん」と自己紹介をしました。そういう人もいるんだと。民族名を名乗るというのは、どう見ても正しいことだけど、それじゃあ仕事にありつけないとなったときに、割り切って通名で働いて、アフターファイブは俺の時間やと。
僕も自己紹介の順番が回ってきて「大阪外大朝鮮語学科の学生です」と言いながら、「すみません、日本人です」っていつも言ってました。何か言われる前に朝鮮人には謝っておけと。ある時同じように「すみません、日本人の藤井です」というと「お前、俺になんか悪いことしたんか」という在日朝鮮人がいて、「してません」と答えると、「ほな、謝るな」と言われて、それから自己紹介でこの一言は抜くことにしました。あの時にその一言を言ってもらわなかったら、ずっと「すみません」と言っていたかもしれません。
高校の時も社会科の時間に公害とか被差別部落の問題とか、教わって、社会的弱者がいて、なんか「かわいそうやな」「気の毒やな」という同情心がありました。朝鮮人に対しても同じような気持ちがあったと思います。お酒飲みながら、いろんなことをしている人たちに会うと、みんなそれぞれ自分の生を生きてはるな、何もかわいそうではないと、仕組みが悪い、制度が悪いとようやく思ったから、それから同情心はなくなりました。また、僕は大学を一年留年して、そのあと修士課程にもいったから、計七年も外大に通ったんですけど、同級生の女の子と恋愛の話したりしながら、男の子としゃべっていたのと違う自由さを感じて、男の子とは違う反応があって、新鮮でした。自分が日本人で男であるということで、民族問題以外に、だんだんジェンダーの問題に関心を持つようになりました。
障害者作業所と関連を持っていた先輩にやはり「君もやらないか」と誘われて、脳性マヒの男性のところに介護に行って、はじめはおっかなびっくりで車椅子を押したり、ご飯食べさせたり、トイレを手伝ったりするようになりました。ところがつきあっていると、やはりこの人たちも普通の人間やとわかるんですよね。それも大きく僕を成長させてくれました。
大学に入ってから生身の在日朝鮮人と出会った事で、顔と名前が見える付き合いが始まって、障害者ともそうだし、生野には朝鮮人の重度障碍者も何人もいて、そういうお付き合いもできて、特にかわいそうという見方はなくなって、みんないろいろな活動を展開していて驚きましたね。泥臭く、あまり器用ではないけど、地を這うようにして生きてはると。
当時は在日二世も三世も両親とも朝鮮人という人が圧倒的に多かったです。今はダブルの子たちが多くて、結局日本国籍を選ぶ人も多いみたいだけど。今回、民進党の蓮舫さんの二重国籍が問題になっていますが、この議論はもっとやればいいと思います。「二つあって何が悪い」と言ってほしいところです。
金それはちょっと今の社会ではむずかしいでしょうね。
こうのすけ国籍の問題は、国籍法の改正で父母両系主義になったのは大きな進歩だと思います。それまで父系だったから。そこから発展して、血統主義だけでないもの、生地主義も考慮して、それからダブルの場合は二重国籍を大人になっても保持し続けるということも諸外国に学んで取り入れていくべきだと思うんですけどね。
金ところで、当時は、卒業して少しでもいいところに就職して、生涯そこで働いてという考えがまだ一般的な時期だったのでは?
こうのすけ朝鮮語の卒業生の多くが給料のいい都市銀行に就職していました。僕からすると、なんで銀行なんかに行くんかなと思っていましたが、先輩も同級生も後輩も、男子学生の半分くらいは銀行でした。
僕自身は一回生の時から高校の朝鮮語の先生になりたかったんです。大学に入ったときに府立西成高校で朝鮮語の講師をしている先輩がいて、そんな道があるんだ、いいなと思って一度遊びに行きました。四回生になったら教育実習に来ますからと言っていたんです。そして、実際に行きました。大阪では西成高校と今宮工業高校定時制にはすでに朝鮮語の先生はいましたので、すぐに採用されないことはわかっていたんですけどね。僕の時には採用試験はなく、そのあと、何年かして実施されるようになり、在日朝鮮人の後輩が常勤講師として何人か採用されていきました。しかし、専任を置くほどの朝鮮語のコマ数のある高校は少なく、非常勤で回しているところが多いのも事実です。僕としては朝鮮語教育を何とか日本で定着させるために努力したいと思っていて、大学院の時もそういう思いは持っていました。
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