朝鮮学校はそんなに素晴らしい学校なのですか?
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公演の翌日、水戸市内の千波公園で、モンダンヨンピルメンバーと茨城ハッキョの児童生徒と同胞の交流会に参加した。
弁当を食べた後に行われた公演では、児童たちの「パンガプスムミダ」の歌と踊りに心溶かされ、生徒たちの軽快な歌声と踊りやモンダンヨンピルメンバーたちのちょっと不揃いな「バスに乗って 電車に乗って」の踊りに心弾み、笑顔がはじけた。続いてグループごとに行われた交流会では、大きな布に思い思いの色を塗って一幅の絵に仕上げたり、扇子にハングルを書いたり、朝鮮語の言葉遊びやチェギチャギ(朝鮮式蹴鞠)やユンノリ(朝鮮式すごろく)で歓声を上げたり、モンダンヨンピルメンバーが繰り広げる年齢に沿ったプログラムに子どもたちが、時間がたつのも忘れて没頭していた
低学年のテントの下で、絵本作家のモンダンヨンピルメンバーが自作の本を読み聞かせようと表紙を見せると、児童たちから「それ見たことあります!」「読みました!」と声が上がっていた。終盤には女子生徒たちがメンバーたちに「ウリルル ポシラ」の歌に合わせた振付を教えていた。
今、各地で好評上映中のドキュメント映画「蒼のシンフォニー」でも感心したが、茨城ハッキョの児童生徒たちはウリマルがうまい。初級部の児童も韓国から来た彼らと不自由なく自然にコミュニケーションを取っている。炎天の下、四時間以上に及んだ交流に、子どももメンバーも疲れを見せるどころか、時間が足りないとでもいうように別れを惜しみながら最後に統一の歌「ハナ」を大合唱していた。
前日のコンサートは、韓国ではありえないという有名一流アーティストたちの「夢の競演」だった。すっからり魅了された子どもたちは終始、リズムに合わせ座席で跳ねていた。舞台に立ったアーティストたちも、愛情たっぷりに子どもたちを自分たちの舞台に巻き込んでいった。舞台の熱演と、子どもたちの満面の笑顔と高鳴る鼓動が、心地よい高揚感となって会場を包んでいた。
子どもたちはこの二日間をどのように記憶するのだろう? 海を越えて来てくれた彼らが、自分たちを大切に思ってくれていることをしっかりと感じ取ったはずだ。
子どもたちとの交流が終わり、夕方四時からは前日の公演に参加したアーティストたちも加わり、七輪を囲んで同胞たちとモンダンヨンピルメンバーの交流が始まった。
同じ七輪を囲んだメンバーは、三〇代(おそらく)の女性二人だった。一人は代表を務めるクォン・ヘヒョさんの知り合いで、職場に通いながら立ち上げの頃からモンダンヨンピルにかかわってきたという。もう一人は大学の教授で、初めての参加だという。最近の韓国での結婚事情などについて話しながら、教授が私に質問した。「もしも子供がいたら朝鮮学校に送っていたと思いますか?」私が「おそらくそうしたと思う」と答えると「朝鮮学校はそんなに素晴らしい学校なのですか?」と重ねて聞いてきた。「授業料は高いし、何しろお金がかかる。給食当番やバザーなど行事のたびに動員される親の負担は財政的なことばかりではない。通学時間もかかるし、施設や設備も日本の学校に比べるとかなり見劣りする。おまけに最近は生徒数まで減って…。でも在日朝鮮人として生まれてきたことを肯定してくれるところは朝鮮学校しかないのです」と答えた。
二日後、ソウルに戻った彼女からメールが来た。「いろいろ考えました。大学で韓国文学と韓国語教育学を講義しているので、自分は民族的でアイデンティティーもはっきりしていると自負していたことが、すごく恥ずかしいです」。
「アイデンティティー」、韓国語で「정체성(正体性)」。君の正体は何だと聞かれても、これだと言える決まった言葉などない。それは移り変わる時代の中で自分の居場所をしっかりと見つけることではないだろうか?そのためには自分の出自とかかわる民族の言葉と歴史、そして一緒に考えて喜怒哀楽を分かち合う仲間が必要だ。それが世に出るためのよりどころとなるはずだ。日本の社会で時には露骨に、時にはうっすらと漂う在日朝鮮人への嫌悪感にたった一人で囲まれ、いつも心の片隅に消えない固いしこりのような劣等感を抱えながら生きていくことは、人生の喜びを割り引いてしまう。
茨城ハッキョの生徒児童が、今回のモンダンヨンピルとの交流体験を肥しに、さらにのびのびと、力強く育ってくれればと願う。
(金淑子・編集部)38
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