創立六〇周年を迎える九州朝鮮中高級学校
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「建設概況」でたどる、その草創期
学校建設の経緯・中
前号に引き続き、一九五六年一一月に九州朝鮮中高級学校建設委員会が刊行した「建設概況」(ガリ版刷り、七三頁)の全容を日本語に訳し、紹介する。●印のタイトルは整理者による。(「記録する会」)
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(3)学校建設に総決起
長らく教育で空白があったわが県においても、県下四万同胞の注目と関心が集まる中、学校建設委員会が一一月二七日(一九五五年)に結成され、歴史的な第一歩を踏み出した。
この学校建設運動を飛躍的に組織、展開させるため、県本部では一一月二九日、県下各支部の総務部長と各単一団体による会議を招集し、生活擁護運動の最重要事業として取り組むことを討議、意志の一致をみた。
●敷地購入の契約と分科会を決める
県下同胞に学校建設への決起促す
建設委員会では、委員長と副委員長を中心に、精力的、かつ詳細な活動がスタートした。一二月三日には、建設委員会の常任委員会を八幡公民館で招集した。建設地として確定的になった、折尾について意見を交換した。県下全地域からの通学に有利だということ、敷地が林野で土地代が廉価だということなどを考慮し、八、四〇〇余坪を二二三万一、六八九円で買収することを決めた。徐泳鎬副委員長をはじめ幹部たちが率先して 基金に参加すると表明し、感銘をよんだ。その場で、一〇名、二九〇万円が約束された。このことは、県下の同胞に知れ渡り、建設事業遂行の確信を強めた。
この日の常任委員会では学校敷地購入の契約を決めるとともに、分科別の責任者を決めた。建築問題は金徳七、李甲允両副委員長が、建設基金は朴永燁委員長と盧戍俊副委員長が、対外宣伝事業は、李健右総連議長と徐泳鎬副委員長が担当し、朴柱玉氏が事務局長に就いた。
これらの画期的な決定は、運動の飛躍的前進をもたらす礎になった。事務局がこれらのことを成文化し、県下同胞に送るアピール文とニュースを作成し配布することによって、大衆的な行動がスタートした。
このような建設委員会の活動をより拡大強化し、組織的に取り組むため、総連県本部では一二月一二日、福岡市での活動家会議を建設委員会との合同会議として招集した。
当時、多くの同胞の関心事は、金日成元帥が在日同胞の祖国訪問団に伝えた言葉(9・29)だった。金日成元帥が運動路線の転換を称え、総連の旗のもとに総結集し、共和国と固く連帯することと、海外で民族的に助け合いの精神を発揮し、生活を安定させ、今後祖国の建設に貢献することについて語るとともに、教育費と奨学金、教材などを送ると言明したことに感動し、大衆的な論議が起こった。共和国の配慮が具体的に提示されたことを機に、公民としての基本的権利の保障と生活擁護月間の方針を軸に学校建設事業を成功裏に遂行するための会議に約一〇〇人が参加した。
この会議で建設委員長と事務局長がこれまでの経過報告と今後の事業計画を報告すると、熱烈な拍手が巻き起こった。参加者たちは建設委員会の活動に敬意を表するとともに、かれらの愛国的献身性に学び、月間内に建設基金と労力提供に参加することを決めた。教育事業は、総連の最重要かつ緊要な問題であり、この事業を同胞的に推し進めるために、各支部に建設委員会を組織し、分会にまで組織的支援体制を確立することに尽力すると同時に、生徒募集も幅広く行うことになった。
会議での決定事項は、県下同胞を学校建設に決起させた。小倉支部の宇佐分会では、大衆的な建設委員会を組織し、分会の建設委員たちは戸別訪問を行った。すべての会員が基金に参加するとともに、学校の敷地整地工事での労働奉仕に立ち上がった。八幡支部と遠賀支部では、学校の敷地の測量から労働奉仕に参加し、真冬の雪が降る中でも作業に猛進した。
歳末が近づいたにもかかわらず、中小の商工業者たちは建設委員としての活動を優先させ、同胞たちの寒風をついての労働奉仕に感動し、電撃的に基金の約束を拡大させた。
建設委員会の事務局は、ニュースを発刊し、このことを知らせた。すると、同胞だけではなく、広範な日本人たちも呼応した。門司の山口巽氏は建設委員会に基金を送ってきた、若松支部のある日本人は労働奉仕に参加し、同胞たちを鼓舞した。
●一九五六年一月九日に起工式
三月一日には棟上げ式を催す
運動が飛躍的な前進をみせる中、一九五六年一月九日、起工式が行われた。雪が降る日の一〇時、建設委員たちはスコップを持ち、材木を担ぎ作業にとりかかった。一月一五日現在、四七七万円の大口の約束基金が集まり、各支部では千円、五百円カンパが続けられた。2・8人民軍創建八周年記念大会が二月一〇日、福岡市の農民会館で開かれたが、その場で約束基金が八三六万円、労働奉仕に六五九人が参加したことが報告された。大会終了後、全組織を挙げて学校建設に集中的に取り組むための真摯な論議が交わされ、決意表明がなされた。
大会後、学校建設の大衆的運動は、北九州から起こった。各級機関の役員たちは寝食を共にしながら、班を編成し集金するとともに、分会と班単位の会議で呼びかけた。建設現場では、ブルドーザーによる本格的な整地事業がスタートした。これに足並みを合わせ、特記すべきは建設委員会の副委員長で、学校建設を請け負った金徳七先生の熱意だ。資金繰りに駆けまわり、木材の確保、基礎工事など、三月一日の棟上げ式を目指し、昼夜を問わず奔走した。
その一方、教職同と連携して、生徒の募集と教員に尽力した。県下同胞は校舎を立派に建てると同時に優秀な教員を求めた。優秀な教員の確保は全国的な教員不足で困難を期したが、二月に招集された総連中央委員会において、九州での学校建設が高く評価され、全国的な支援を得ることができた。同中央委員会では、在日朝鮮人教育事業に画期的な前進と発展がもたらされる中、総連教育規定を施行するとの決議が採択された。
学校建設が成功裏に進捗した背景には、南日外相の一二月二九日対日声明があり、県下同胞の教育的要求と幹部たちの献身性があった。
そして、ついに三月一日、県下同胞九〇〇人余りの参加のもとに棟上げ式が催された。朴永燁委員長が開会の辞を行い、八幡市長の祝辞を代読した教育長は、このような膨大な教育事業に声援を送る、わたくしたちは、その精神を学び、これからの教育事業においても互いが力になることを願う、国交が一日も早く正常化し、共和国からの教育費が受け取れるよう努力するとのべた。徐泳鎬副委員長が事業経過と今後の計画を報告した。中央牡丹峰劇団が公演を、県下のオモニとハルモニが餅と酒をふるまった。
●壁も窓もない校舎で四月一〇日に入学式
生徒二〇〇人、教職員一一人でスタート
三月四日、折尾中学校を借りて入学試験を行った。これまで朝鮮語と文字をまったく学ぶことができなかった生徒たちが、迷った道から抜け出すかのように試験場に集まってきた。この日、一五九人の生徒を受け付けた。
総連と建設委員会は、四月の開校を実現させるために、三月五、六の両日、総連県本部執行委員会第五回会議を催し、月間事業を決定した。建設基金の徴収の強化、他県と日本人に対する支援要請、第二次の生徒募集などを決め、建設委員会は、当初の予算案一三〇〇万円を二一〇〇万円に再編成した。
四月六日、小倉では総連県本部と建設委員との協議に基づき、四月八日、折尾幼稚園で、県本部執行委員会第六回拡大会議が開催された。拡大会議では、学校建設運動が最も緊要であるとし、建設委員会が提案した二一〇〇万円を確認し、総連二全大会までの完成を目標に定めた。
四月一〇日、屋根はあるが、壁も窓もない校舎で入学式が催された。生徒は二〇〇人、南日龍校長ら一一人の教師が赴任[教職員名簿は別稿参照]した。二〇日から授業はスタートしたが、窓ガラスも、水道も、トイレもなく、運動場も整備されていなかった。二〇〇人の生徒たちは、この日から自らの学びの道を歩むことにになった。
正常授業がスタートしたと伝えられると、県当局は驚くとともに、その誠意に感動し、現場に調査に来て、学校の認可や国鉄の学割も応じてくれた。
建設委員会は、総連県本部第六回拡大会議の決定に基づき、四月一七日、学校で第三回会議を催し、事業計画を立て、各支部から分会、班に依拠して様々な活動を繰り広げた。五月九日には学校で学父母と建設委員会が集まり、対策を論議した。
しかし、二全大会までという目標を達成することはできなかった。建設基金の約束額は一千四九三万五〇〇〇円に達したが、集金額は八一六万六〇二〇円に留まった。
「建設概況」にみる開校当時の教職員名簿
職名 | 氏名 | 年齢 | 担当科目 | 出身学校 | 住所 |
---|---|---|---|---|---|
校 長 | 南日龍 | 34 | 憲法
社会常識 |
東洋大学 | 八幡市折尾町蓮池1547 |
教務主任 | 梁裕直 | 29 | 国語 | 平壌師範学校 | 京都郡苅田町上町 |
教員 | 李泰仁 | 37 | 人体解剖
動物・地理 |
大邱医専 | 八幡市折尾町蓮池1547 |
権淳徽 | 27 | 朝鮮歴史
世界歴史 |
東京朝鮮高級学校 | 八幡市折尾町蓮池1547 | |
金大河 | 28 | 国語
植物・化学 |
東京大学 | 八幡市折尾町蓮池1547 | |
趙鏞復 | 26 | 数学・物理 | 九州大学 | 八幡市折尾町蓮池1547 | |
芮春培 | 27 | 世界歴史
英語 |
西南学院大学 | 八幡市折尾町蓮池1547 | |
張寛康 | 32 | 数学・物理 | 日本大学 | 飯塚市東旭町 | |
李石用 | 31 | 国語・露語 | 大邱医専 | 八幡市折尾町蓮池1547 | |
崔明柱 | 26 | 体育・音楽 | 日本体育大学 | 八幡市折尾町蓮池1547 | |
講 師 | 金在玉 | 30 | 国語 | 東京昭和薬専 | 八幡市折尾町蓮池1547 |
事務員 | 徐子連 | 21 | 東京朝鮮高級学校 | 嘉穂郡穂波村忠隈浦田 |
*総連二全大会と一一月の落成式までの過程については次回に掲載。38
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