〈続・東京中高美術部〉描く・創るを語る
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私とイラストの関わり
ハン・ユヒャン
「美術」
私はそう答えた。
友人が私に「嫌いな科目は?」と訊いてきたからである。
友人はたいそう驚いた様子だったが、追求はしてこなかった。けれど彼女の顔にはあからさまに
「なぜ美術部なのに美術が嫌いなのだろう」
と書いてあった。慣れっこなのでさほど気にしなかった。
なぜ嫌いなのか。
それは単純に、つまらないからである。
もともと授業でやるデッサンとか、クロッキーとか、そんな写実的な、「真面目な」描き方は好きじゃなかった。
見たものをありのままに描くということが、そもそもつまらなかった。
私は目に見えるものよりも、目に見えないものを人や物に見立てて描くのが好きだった。
それが今の私の「イラストを描くのが好き」と言う気持ちに繋がっていると思う。
小学校低学年の頃、私は休み時間にはいつも絵を描いている様な子だった。
まあ絵と一口に言っても、風景とか、そんなものではない。可愛い女の子に可愛い服を着せ、可愛いポーズを取らせたイラストがほとんと、いや全部だった。
出来上がったらクラス全員にそのイラストを見せた。見せて感想をもらって、また次の絵を描いた。いま思えば、彼らにはいい迷惑だったと思う。
小六までバスケ部に所属していた私は、最後の全国大会で優勝したのをきっかけに、中学から美術部に入部した。前述の通り、絵を描くのがもともと好きだったからという理由である。
美術部に入ったからには、これからはずっと好きなイラストを描いていられる。そう信じていた。そして、そう思っていた私が浅はかだった。
中一の頃、美術展覧会に出品するイラストの案を顧問に見せた時の事だ。
「何それ、イラスト? だめだよそんなの描いちゃ。人物画とか風景画じゃだめなの?」
顧問は、当然というように笑った。
その時、私は、私のすべてを否定されたような気がした。なぜイラストはだめなのか。なぜ人物画や風景画はいいのか。そんな差別があっていいのか。私は次々と疑問をぶつけた。
「イラストもねぇ、美術展とかじゃあまり認められていないんだよ」
認められていない。
頭をかなづちでぶん殴られたような、そんな衝撃を受けた。
私が一番描きたかったものが、すべて、まるまる、そっくり、全否定された気分だった。
怒りを覚えた。確かに、美術展覧会などで入賞した絵はリアルな油絵や水彩絵、アクリル絵が大半を占めている。けれどイラストが否定されていいなんてことはないだろう。
私は怒りに震えた。同時に、イラストが認められていないという悲しみも覚えた。
だが私はそんなものでへこたれる弱い輩ではない。だめだだめだという顧問の忠告も無視して、美術展用のイラストを一心不乱に描きあげた。
その絵は、金賞をとった。
次の年も、イラストで金賞をとった。
ざまあみろと、私は心の中でほくそ笑んだ。イラストでも金賞はとれるんだぞ、と。
当然、他のリアルなアクリル画や水彩画に混じり、展示会は私の絵だけ異様に浮いていた。だがそれさえも誇らしかった。
私は中学の三年間、イラストを描くというスタイルを貫き続けた。もともと、見たままを描くとか、リアルな絵を描くとか、そういうことが嫌いだった事もあるし、なによりも審査員や顧問のお硬い頭に負けてたまるかという反抗的な思いがあった。顧問ももう私の頑固さに呆れたようで、なにも口出しはしなくなった。
こんな事があった。
展覧会を見に来た学生たちに配られる「展覧会で印象に残った好きな作品ベスト3」というアンケート用紙に、学生たちが私の作品を沢山ランクインさせてくれた事がある。そしてそのことを嬉々として報告してくれたりもした。ファンレターをくれる子や、わざわざ文化祭や行事の時に会いに来て「裕香さんの絵、本当に好きです! 尊敬しています!」と言ってくれた子も何人もいた。
そんな事もあり、ますますイラストを描く手に力がこもった。
高校に上がってまた美術部に入部しても、イラストを描いた。
顧問や審査員に認められなくてもいい。描きたいものを丁寧に、一生懸命描きたい。私のイラストが好きだと言ってくれた学生たちの期待にこれからも答えたいし、大切にしたい。
それが私の思いであり、いつも心の中にあるものだった。
私は今も、イラストを描き続けている。
好きなものを描く。それは一見、自己満足で閉鎖的な感情に見えるかもしれない。けれど絵というのは、私が思うに「楽しんで描くこと」が重要なのだ。
好きでないものを永遠に描いていても、楽しくはない。けれど、好きなものを楽しく描いて、それでいて自分の絵が好きだと言ってくれるファンができたなら…
それは自分にとっても、絵にとっても、とても喜ばしい事ではないだろうか。36