ある韓国人が感じた!?ウリハッキョ③
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その9・どんな資格や条件より優先されるべき言葉「人」
冷たい雨が降ります。昨日は春の日の花びらのように美しく舞ったイチョウの葉が、今日は雨にぬれたまま道端にくっついてビクともしません。 風も結構吹くもののあのイチョウの葉は、力一杯身を縮めて何も見えないとでもいうようにうつ伏せになっています。まさに今日の私のように。
しばらく何もしないでごろごろしながら、それでも何かしなくてはと本を広げてみました。一ヶ月以上も前に読んだ本ですが、もう一度集中して読まなくてはと思って、メモ用紙と蛍光ペン、しっかり削った鉛筆まで横に置いて席に着きました。
一週間前、私が働くカフェで作家との対話時間を設けた、まさにその本です。その時間に聞こえてきたイ・ポムジュン作家の声は信頼あふれる声でした。予定した時間を大幅に越えながら話が行き来する程、活発だった質疑応答の中で、在日に対する新しい視野を開いてくれた時間でした。
作家は光復(解放)七〇周年企画として日本に留まってこの本を執筆するために三年間取材をしました。記者でもある彼の資料収集やインタビューの過程などを聞くと、頭が下がります。本の中で著者は、客観的な資料をベースに読者に多くの質問を投げます。他の見方をすればその間ただ感情的に、そして朝鮮学校という垣根の中だけで同胞を眺めた私には、容易に答えられない質問でした。今日はこの本について話してみたいのですが、どうしても話がちょっと重くなりそうです。多くの部分はこの本の内容をベースにしていることをあらかじめ明らかにしておきます。
(在日弁護士の)ペ・フンはソウル留学を経て韓国語が話せるようになりました。 韓国籍、韓国名、そして韓国語を話します。 年に何度も韓国にきます。 もう韓国人といえるかもしれません。けれど日本に税金を払って、日本の政治を心配して、日本で人生を終える計画です。 ならば彼は日本人なのでしょうか。
(在日は)国籍だけは、あらゆる困難に耐えながら維持しています。 住民票に書かれた朝鮮・韓国表記は家族以外には誰も分かりません。 なぜでしょうか。 在日は何のために国籍を(執拗に)維持するのでしょうか。どんなことがあったのでしょう。一九四五年の解放以後在日は、どんな生活を送ってきたのでしょうか。(中略)私たちが知らない間に、私たちの兄弟は日本でどんなことを体験したのでしょうか。
在日はいつか帰ってくる同胞ですか、でなければ日本に暮らし続けるのですか。
在日は日本帝国の植民支配を契機に日本に住むことになった朝鮮人とその子孫です。日本は戦争が終わった後、日本国憲法を作る過程で、草案にあった人民という単語でない国民という単語を主体とみなすことによって、すべての基本権を国民に置きました。 解放と一緒に日本に住んだ朝鮮人の日本国籍を剥奪したままです。祖国に政府ができる前だったので、自然に出身地である朝鮮半島を現わす「朝鮮」に籍を置いた在日。日本に住みながら日本国民でない朝鮮人はいかなる基本権も享受できないまま、生存するためにあらゆる苦労に耐えました。日本のように韓国もまた、大多数の国々の憲法と違い人民(people)でない国民を憲法の主語とすることで、国籍を人権の基本として要求しています。
自分たちを保護してくれない国に住んで、税金を払い、その国の政治によって自分たちの運命が決定されて生きる。 在日の人生はそのような薄氷を踏むような人生でした。韓国に戻って生きればいいじゃないかと言う人々もいます。しかしそんなことを言う私たちの視線は、まだ彼らを私たちの共同体の一員として受け入れる程成熟していません。
韓国に嫁にきたある在日の新妻は、苦々しくこう話していました。「スパイかも知れないから気を付けなさい」と夫の友達が夫に真剣に話したと…。分断の歴史が作り出した悲しい私たちの現実です。
本の著者イ・ポムジュン記者は序文に次のように書きました。
音も立てず痕跡も残さないで人を排除する社会で、生き残った彼らの人生を必ず記録すべきだと繰り返し心に誓いました。
音も立てず痕跡も残さないで人を排除する社会、在日には日本だけでなく私たちもそんな社会ではなかったでしょうか。
この本を読んで、日本で朝鮮学校に通う同胞の子どもたちはそれでも本当に幸せな子どもたちだと思いました。学校という垣根で保護され、ウリマルとウリクルを守り、自分たちのアイデンティティに対する堂々とした態度を育てられるからです。なんとしても朝鮮学校を守り続けなくてはいけないと一層強く思いました。
著者は朝鮮学校の話を扱った章の最後にこのような質問を投げます。
(韓国学校はほとんどその役割を果たせずにいる現状から)在日にとって朝鮮学校以外は日本の学校なのです。朝鮮学校で民族教育を受けるか、日本の学校で日本の教育を受けるのかという問題なのです。そばで見ても当然の選択肢です。これから朝鮮学校をどうすれば良いのでしょうか。 朝鮮学校の在学生は全部日本国の納税者です。朝鮮学校在学生のうち過半数は韓国籍です。
これまで本国の北側半分だけが認めて支援してきた朝鮮学校。それさえも以前のような支援が難しくなった状況で朝鮮学校は本当にこのままずっと小さくなって結局は消えなければならないのでしょうか。
この本を読んで、在日とは歴史的な背景は違うものの、私たちの土地に来ている移住労働者らとこの土地で生まれたその子供の人生について考えました。「人」、そうです。どんな資格や条件より優先すべき言葉「人」。資格や条件を付けながら私たちを作られたわけではありませんよね、私が信じるあの方は。
単純な真理が、多くの壁に遮られる世の中です。そして冷たい雨水を言い訳に、ごろごろして何もしようとしない卑怯さを私の中にたびたび発見します。しかし冷たい雨にビクともしないで身を縮めているイチョウの葉も、雨がやんで風が吹けば再び舞い上がるはずです。花びらのように美しく…。冷たい雨が止むその日がはやく来ることを、いや冷たい雨にも屈しないで美しく飛び散る多くの銀杏の葉、そして黄色い波を作り、力を一つにして遮る壁を軽く越えるその日が早く来ることを祈ります。(2015・11・12)36