ある韓国人が感じた!?ウリハッキョ③
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その8・「私の隣人のために、私は反対します」
海の彼方、日本の領土に住んでいる在日同胞の人生を知るようになって私は、真夜中に眠たい目をこすりながらこういう文を書いている。時々「自分のことで精一杯だろうに、他人のことに首を挟んで」と言われたりしながら、なぜこんなことをしているのやら。疲れた日にノートブックの前に座ってそんなことを考えることもある。それでも私はやはり世話好きなおばさんとして生きて行くしかないのです。
「君の隣人を君自身のように愛しなさい」
今私の隣人はまさに彼らなのです。 ノートの間に挟んでいるチュヨニのメッセージを見て、やはりそう生きることにしました。
朝鮮学校の運動会に参加して日本から帰ってくる日、空港まで見送りに来たチュヨニの家族といっしょに空港内の食堂で食事をしました。食事の後、手帳を取り出して何か書いていた私に、子どもが紙を一枚ちょうだいと言ったのです。 そしてその紙にこう書きました。 三兄弟姉妹の顔の絵と一緒に。
ウヨン先生に
運動会の日とか毎日、遊んでくれてありがとう。こんど日本にきた時も一緒に遊んでください。
数日間一緒に過ごして情が移ったようです。運動会を準備する数日間、この子たちだけでなく多くの子どもたちと本当に仲良くなりました。小、中、高級学校を合わせても七〇人程度にしかならない小さな学校、大幅に減少した生徒数のせいで、さらに大きく見える運動場で、子どもたちと一緒にした運動会を、一生忘れられそうにありません。
振り返れば私も幼い頃そのような運動会をしていました。町中の人々が皆一緒に集まって村祭りのような運動会を。 ところが私の子どもが学校に入って初めの運動会に行って、とても寂しい思いをしたのを思い出します。 運動会までもが私たちの人生のように、すっかり世知辛くなったようです。
ところが朝鮮学校の運動会の中には、その地域同胞の暖かくてほんのりした情を感じられる何かがありました。近隣の日本人たちも朝鮮学校の運動会を見れば感心するといいます。あたかも感動的な大きい公演を見るような感じだと言います。日本でも最近は、中学校以上は、家族が参加しない運動会、出ない運動会になってしまったからです。
子どもたちだけでなく大人たちも参加して皆が共にする運動会で、私も綱引きや徒競走に本気で参加しました。もちろん私が最も一生懸命だったのは昼食でしたが。各家庭で準備した食べ物を運動場にひろげて集まって座って共に食事をする時間、食べ物を用意出来なかった家庭にはオモニ会がおいしい弁当を準備しました。 配慮と関心と愛が感じられる風景です。
運動会は地域同胞社会の最も大きな行事でもあります。着飾った同胞一世、二世のハルモニ、ハラボジ、力仕事もいとわない二、三世の青壮年たち、運動場に力強い気勢を吹き込む三、四世の子どもたち、皆が一所に集まって祭りのような運動会を盛り上げて、互いに生きていく力や勇気を得るそんな日がまさに運動会の日なのです。
そんな運動会に参加して「うらやましい一方で痛ましい、そして本当に申し訳ない」という気がしました。私たちが失ってしまった隣人との関係が、ここでは相変らず豊かだということがうらやましかったのです。
一方、私たちはここにこのように存在していると全身で彼らが叫んでいるようで痛ましかったのです。日本に向かって、そして祖国と故郷に向かって叫んでいるように思えたのです。そしてその叫びに相変らず何の反応もない私たちの態度が本当に申し訳ありませんでした。
最近は一層申し訳なくなっています。「歴史教科書の国定化」というイシューのせいです。今もきちんと伝えられていない在日朝鮮人の歴史が、私たちによって歴史から抹消されるかも知れるかもしれないからです。日帝侵略の歴史は朝鮮の発展に貢献した部分が大きいと主張する人々によって作られるかも知れない歴史の本で、果たして日帝の朝鮮人強制徴用や慰安婦ハルモニの問題がどんなふうに扱われるのか、今さら聞くまでもありません。私の隣人、彼らのためにも私は歴史教科書の国定化に反対します。これが、次もまた一緒に遊んでねと別れを惜しんだチュヨニに私が示せる最小限の態度ですから。
それで小さいけれど集まれば大きくなる提案をしたいのです。反対する心を表現しようと、どんな方式でも声を出そうと提案します。私は私の職場に自分の思いを掲げます。近隣の学校に登下校する子どもたちやここを通る多くの人々に、私の思いを伝えられるように。
「歴史教科書の国定化に反対します!!」
次もその次も私と一緒に、私たちと一緒に遊びたいというチュヨニと、その子たちが育った頃には必ず統一が実現した祖国が存在することを願う日本の地の私たちの同胞に、恥ずかしくないようにこう表明します。(2015・10・28)