ある韓国人が感じた!?ウリハッキョ③
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その7・「なぜ学校に通わなかったのですか?」
学校にちゃんと通っているのに、こんな質問に答えなければならなかった高三の生徒がいます。歌うことが好きで声楽部に入り、磨きあげた声で友だちと一緒に舞台で歌を歌ったりもします。地域代表として「全日本合唱コンクール」の舞台にも立ち、拍手に喜びの涙を浮かべたこともある、そんな生徒です。
学校で友だちと仲良く過ごしながら夢を育む彼女は、今年の夏休みにある試験を受けました。認めてもらうために受けなければいけない試験でした。政治的な理由から日本では認められない所、「朝鮮学校」に通っているからです。
二〇一五年九月一七日、「朝日新聞」一六面にこの生徒が書いた文が掲載されたのを見ました。
「明るい未来を信じて『高認』受けた」という文でした。
よく言われることがあります。
「認めてもらえないなら、そのまま日本の学校に通えばいいじゃない」
そんな言葉を聞くたびに私は、カッとする性格を抑えるために鼻の穴が大きくなるのを感じながらこう答えます。
「日本が認めないから独島もわが国の領土じゃないし、日本が認めないから慰安婦ハルモニたちも自発的について行ったんだし、日本が認めないから強制徴用も全くなかったってことね。日本が認めないから…」
ここまで言うと上のような言葉を言った人は手を振って「そう、そう、ごめん、ごめん…」と言います。そして真剣に聞くのです。
「ところで日本政府は、なぜそこまで朝鮮学校と在日同胞を差別するの?」
それでもこう聞いてくる人は「朝鮮学校」が何なのかということくらいは知っている人です。朝鮮学校と言う存在さえ知らない人たち、または朝鮮学校は日本にある北朝鮮の学校だと思っている人がずっと多いのです。
モンダンヨンピルで発行した『朝鮮学校に対する一四の質問』という小冊子の内容を借りるなら「朝鮮学校は在日同胞が作った学校です。朝鮮学校で『朝鮮』という言葉は分断前の朝鮮と理解すべきです。朝鮮学校という名称は「朝鮮民族学校」という意味を持ちます。同胞たちはよく朝鮮学校を『ウリハッキョ』、朝鮮語を「ウリマル」と言います」
ならば日本政府は本当になぜ朝鮮学校と在日同胞をそこまで差別するのでしょう?
日本政府は外国人学校の一つである「朝鮮学校」を、学校と認めていません。在日同胞の子どもたちが日本の学校に通って、朝鮮人であることを明らかにすれば、いじめや蔑視の対象になることがあります。就職ももちろん難しいです。愛する人が日本人の場合も単に朝鮮人だという理由のために、相手の家族に別れさせられる同胞もいます。
おそらく日本政府が、彼らの「侵略戦争と支配の歴史」を認めないためにはそれしか方法がないのだと、私は考えます。自分たちの植民政策によって日本の地に定着することになった在日同胞の存在を認めた瞬間、日本政府は自らの「侵略戦争と支配の歴史」を認めることになるのですから。日本政府が自分たちの過去を認めて謝罪し、日本によって日本という異国の地で生きてこなければならなかった在日朝鮮人を、日本人たちと同等に扱う日は果たしていつ来るのでしょうか。
日本政府は相変らず朝鮮半島を植民地として支配していた当時のように、「同化」政策、すなわち「日本人ではなくてはいけない」という政策をいまだに法的、制度的に維持しています。したがって現在は、在日朝鮮人が日本で日本人たちと同じ機会と権利を享受して生きていくためには、日本に帰化して「骨の髄まで真の日本人」になる道以外ありません。 「骨の髄まで真の日本人」になって機会と権利を享受する道ではなく、朝鮮人として堂々と生きていくために差別だらけの険しい道を歩んでいる彼ら、あえて狭い道を進んでいる私たちの隣人です。
もちろん日本人たちの中には日本政府のこのような不当性を指摘して、「朝鮮学校」や在日朝鮮人に対する差別を撤廃しろと主張する方々も多いです。 政治や理念の問題でない基本的な人権の問題と考えているのですね。
「なぜ学校に通わなかったのですか?」「なぜ日本の学校に通わなかったのですか?」かれらにとって二つの質問は同じ質問なのです。
子どもたちにとってそれは「侵略の歴史を教えない所、在日朝鮮人の歴史などは全く存在しない所になぜ通わなかったのですか?」「二一世紀の今も『朝鮮人』をバカにし、いじめるところ、自身のアイデンティティをできる限り隠して生活する方が居心地の良いところになぜ通わなかったのですか?」という質問と同じなのです。(2015・10・5)