ハッキョ(学校)を支える実のある地域活動を
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組織と教育の重要性
痛感した留学同活動
金芸大卒業後、留学同で専任活動をしたんですよね。それはまたどういういきさつで。
李芸大卒業して専任の活動家になった人はそれまでいなかったそうです。珍しいというか、変わり者だと思われていたと思います。大学四年間音楽だけやっていたわけではないので。学校の勉強としては音楽をしましたが、あとは留学同で同胞との活動の中で学んだことが多くて。その時点での在日同胞社会を見ながら、同胞学生に対して自分にまだ何かできることがあるんじゃないかと思ったんです。芸大には同胞学生も結構いて、留学同の支部がありました。朝高を卒業した人もいて、日本の高校を卒業した人も見つけて連れてきていました。そういういろんな状況を見ながら、自分がもっと在日朝鮮人学生の中でできることがあるんじゃないかという思いが、最後に、音楽に勝ってしまいました。
金親は反対しなかったですか?
李反対しました。まず芸大に行くときにも反対されて、芸大出てなんで活動家なのかと、それはもう、勘当されかけました。
金そうして活動家になって、留学同の活動は大変だったと思うのですが
李当時はまだ今に比べておおらかでした。今のように日本と朝鮮の関係が悪いわけではなかったですから。一九八〇年の光州人民蜂起の直後だったので情勢が大きく動く時期ではあったのですが、日本で活動するうえではそれほど厳しい時代ではありませんでした。理解してくれる人も多かったですし。韓国の民主化ということも言えましたしね。共和国の姿を紹介したりもしました。
金留学同には、朝高出身の学生も日本の高校出身の学生もいますよね。違いがあると思うのですが。
李ありますね。活動を通じて感じたのは、民族教育の素晴らしさでした。問題意識をもって育った人とそうでない人がいますが、民族教育を受けて普通に育った学生は、ちゃんとした朝鮮人に育っています。ウリマルもできるし、在日朝鮮人の立場で思考もできるし。日本の学校を出た学生たちは、そこで苦労するんですよね。日本の高校を出て、いろんなところで刺激を受けて、朝鮮人として生きようと思った時に最初の葛藤が、ウリマルを学ぶことで始まるんです。僕たちも言います、民族取り戻すためにはまずウリマルを学ぶことだと。
金でも言葉を学ぶというのは大変な苦労ですよね。
李苦労だと思います。それでも本当に上達する子は一年で 僕たちと変わらないくらい話すようになります。その過程で脱落していく学生もいます。民族教育の重要性を改めて感じました。
金だからなんとしても朝鮮学校を守らなくてはいけないと思うようになったんですかね。
李留学同での体験が今の自分の基礎になっていると思います。
金留学同では何年くらい活動したんですか?
李学生だった四年間と、活動家として一一年間、合わせると一五年間いたことになります。留学同大阪本部の委員長もしていましたから。組織の重要性、教育の重要性を本当に感じました。今は活動家ではありませんが、その時体験したことが今も大きいですね。人間関係も残っていますから。
金大阪は留学同出身者が多いと聞いています。
李多いです。うちの支部の常任委員八人のうち四人が留学同出身です。
金現在も留学同は盛んなのですか?
李活発です。
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