ハッキョ(学校)を支える実のある地域活動を
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音楽が嫌になった大学時代
でも活動の基礎はそこで学んだ音楽
金大阪芸大に入学して、どうでしたか?
李芸大に行って音楽が嫌になった時期がありました。自分たちが好きでやってきた音楽と違って、個人の競い合いですから。もう仲間じゃないんですね、ライバルです。お互いの連帯感が全くない、完全に孤立した状態で。大学に入ってすぐにそう感じました。
金朝高の音楽が特殊なのでしょうか?
李そうですね。音楽の質が違うんですよ。みんなで一緒に、みんなで作るという感覚ではないですね、大学は。そんな甘いことは言ってられないです。一人一人の技術が問われますのでね。いやになった状態が四年間続いていたので、大学入って伸びなかったのかな?でも一生懸命することはしました。クラリネット専攻の中では成績一番でした。
金負けたくなかったんですか?
李それは強かったです。朝高の頃から負けず嫌いなので。
金朝高出身ということもあったのでしょうか?
李あります。もちろん本名で通って、大阪朝高卒業ということは誰もが知っていたので、負けたくないという気持ちは人一倍強かったです。
金大学四年間音楽を専攻したことを今はどう思っています?
李今振り返るとすごく有意義な四年間だったと思います。いやいややっていた音楽ではあるけれど、先生について基礎からやって上のレベルに移行することで、音楽に対する造詣が深まって、音楽をもっと理解できるようになりました。それが今、自分が音楽活動できる基礎になっていると思います。今自分が音楽活動をできるのは芸大に行ったからだと感じています。専門にやっていなかった人が五十を過ぎて音楽を簡単にできるかというと、やはりそうではないと思います。
金音楽と同胞社会での活動の関連は?
李関連というか、無理やり自分の中で関連づけているんですが、吹奏楽団の活動も二つの側面があって、一つは純粋に音楽をするということで、もう一つはそれを通じて大阪の在日朝鮮人運動を進めていきたいという、それは分会の活動と通じるところです。例えば吹奏楽団で定期演奏会をするには、お客さんに来てもらわなくてはいけないですね。チケットを買ってもらうためにまず分会とか支部の同胞を訪ねます。そうすると彼らが理解して来てくれるんですよ。
金じゃあ、年に一回か二回は、同胞の家を訪ねて回っているんですか?
李いえいえ、月に一度か二度は行っていますよ。分会長もしているので、会費の集金もありますから。少なくとも月に一回はのぞきに行きます。「元気ですか?」って。
金同胞世帯はどれくらい?
李うちの花園分会はそれほど多くないんですが、総連と女性同盟合わせて三十軒くらいですけど、そのうち総連の会員がいるところが二十軒くらいなので。ソフトボールの試合中は毎週あっていますしね。東大阪支部では今でも同胞の家を訪ねています。行事のお知らせも若い人たちにはSNSを利用することもありますが、目上の同胞はきちんと訪ねて行って説明するとようにしています。そういう地域活動の基本はきちっと守っています。
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