ハッキョ(学校)を支える実のある地域活動を
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地元同胞たちによる
チャリティーコンサート
金学校を支援するためのコンサートを二年に一度開いていますよね。
李あれは有志でやっています。本来は二年に一度なのですが、去年に続いて今年も三月の第二週の土曜日にすることになっています。
出演人数はその年によって違うのですが、今回はたくさんの同胞が出演します。オモニ会が「ナンタ(乱打)」を披露しますし、アボジ会も合唱をすると言っています。始めは有志で始めたのですが、最近は学父母たちも多く出演するようになりました。
金地元の学校の器楽部の楽器を買い替えるために始めたと聞きました。
李私の息子がまだ東大阪初級の児童だったころです。器楽部の先生が吹奏楽部の後輩で、私が保護者の後援会の責任者をしていました。演奏を聴きに行ったら、楽器がすっかり古くなっていて、その時点で三〇年前に購入したものだということでした。脚がふらふらで、鍵盤がすり減ったような木琴を使っていたので、これはもうだめだなということで。ただお金の集め方が、スポーツクラブでもよく募金袋を回してくるんですよね。あれがあんまり好きじゃないんで。そういう形じゃなくて、もらったものに対するお返しができればと考えてチャリティーコンサートを思い付きました。千円もらう代わりに公演の一時間半は心地よい空間に浸ってもらおうということで。
金一時間半の心地よい空間を準備するためには、それなりの人材が必要になりますよね。
李偶然なんですが、当時東大阪初級学校の保護者に専門家がたくさんいたんです。実は私、朝高を出て日本の大学を卒業した後、しばらく留学同で専任として活動していたんですが、当時の音大、芸大の学生だった専門家たちが学父母にたくさんいたんです。で、そういう人たちに声をかけて一緒にやったんですが、反響がよかったんで。
金大阪朝高から音大、芸大に行く人が結構いますよね。
李どういう流れなんでしょうかね。大阪朝高から大阪芸大、大阪音大に進学した人たちは多いです。僕の同級生も四人が芸大に進みました。確かにほかの地方の朝高ではあまり聞きませんよね。
金吹奏楽部にそういう雰囲気があったんでしょうか?
李いや、そこまでではなかったんです。吹奏楽部のずっと下の年代ですが、プロに進もうという人たちが続いて出た学年があります。今、四十過ぎくらいでしょうかね。
金李さんの先輩にも音大、芸大に進んだ方がいらしたんでしょうか?
李それもあります。
金校内で音楽を目指すような雰囲気があるんでしょうか?
李そうでもないですけどね。朝高で何か刺激を受けたということは特別ないんですが、管楽器をやっていた先輩たちから刺激を受けたんでしょうね。そういう先輩がいたということで、後輩が続いたというのはありますね。
金コンサートの初回は人が集まるかどうか不安じゃなかったですか?
李不安でした。初めてですからね。何をどうしていいものか、すべて模索でした。一回目が、一番たくさん人が集まったんじゃないでしょうか?定員一二〇人の会場に一五〇人以上が集まって、立ち見が出ました。消防条例ぎりぎりのラインでした。好評でした。
金見に来た人も驚いたんじゃないですか?こんなことができるんだと。
李びっくりしたと思います。普段学校で会う、支部で見た兄さんや姉さんが、上手に楽器を吹いて、歌を歌うんですから。またやってほしいと言われました。学校のチャリティーだからというだけでなくて、音楽がよかったのでまたやってほしいと。やっている本人たちも、学校のためのお金を工面しようという気持ちはもちろんありますが、いい音楽を聞かせたい、一時間半心地よい空間を提供したいという気持ちもありますから。始めは不安でいっぱいだったんですが、始まると酔いしれたかのように、同胞たちの中で音楽する喜びを感じますね。ヤジも飛んできますけどね(笑)。客席と舞台がすごく近いんですよ。堅苦しいコンサートではなくて、まじめな音楽の合間にはヤジも飛ばせるような気楽なコンサートです。
金じゃあ、吹奏楽団の定期コンサートとは全く違う雰囲気ですね。
李そうですね。これまではホールを借りてやってきたんですが、今年は東大阪初級学校の講堂でやります。もっと近くなりますね。
金東大阪初級学校の講堂は何人くらい入れるんですか?
李今予定しているのは一五〇人くらいです。ぎっしり詰めてですね。毎年一五〇人くらいですかね。一方で出演する人たちは毎年増えています。学父母もそうですし、地域の女性同胞のコーラスも出てくれます。当日まで一か月を切って、もうチラシもチケットもできて、今練習の最中です。
金学校支援ですが、お子さんはもう卒業されたのでは?
李卒業しました。今、社会人と大学生です。学校支援に関してはこのコンサートくらいで、あとは現役の学父母たちが頑張っています。
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