ハッキョ(学校)を支える実のある地域活動を
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いい演奏できたとき
地域に役立っていると実感したとき
金一方で吹奏楽団の活動もなさっていますよね。こちらの活動は長いのですか?
李初めは高級学校を卒業してすぐに入ったのですが、大学四年の時に一度退団しました。二十代後半にまた入団したのですが、この時は仕事が忙しくて続きませんでした。その後、子どもが中学生になって吹奏楽部に入ると聞いて、自分もまたやりたいなということで入って、今につながっています。もう十年くらいになりますね。
金楽器は一度手にすると放せないものですかね。
李そうですね。私は大学でもクラリネットを専門にしていました。吹奏楽団に入っていない間も一人で吹いていました。たまに助っ人で出たりしながら。
金大阪吹奏楽団の団員は何人くらいですか?
李正式な団員が三〇人です。それ以外にいつも助っ人として出てくれる人を合わせると四〇人です。
金それくらいいれば合奏には十分ですね。
李そうです。毎年、定期演奏会も開いています。今年が三五回目です。
金年代は?
李高校を卒業したばかりの十代から五十代まで。正式団員の中では私が最年長ですが、助っ人として私の先輩も駆け付けてくれます。
金演奏会のプログラムは朝鮮の曲だけですか?
李それもその時のコンセプトによって使い分けるようにしていますが、少なくとも半分は朝鮮の曲をすることにしています。朝鮮の曲だけやることもありました、かえって新鮮でしたが。今は対外事業もやっているので、半分くらいは外国の曲です。
金定期演奏会以外にはどんな活動を?
李定期演奏会以外には、初・中・高級学校の運動会で演奏しています。高級部は吹奏楽部があるので、現役のクラブ生たちに交じって演奏しています。中級部はここ数年は和歌山初中級学校に行っています。和歌山では競技にも出て、お客さんじゃなくて、楽団員も主人公のように参加しています。
金何人ぐらいで行くのですか?
李去年は二十五人で行きました。
金生徒数とあまり変わらないですね。
李そうですね。現在の生徒数が三十三人ですから。毎年、和歌山に行くたびに感動して帰ってきます。同胞たちが本当に温かく迎えてくれて。運動会に演奏に行くと、昼食に弁当を出してくれることが多いのですが、和歌山では、オモニたちが吹奏楽団にも自分たちと同じものを準備してくれるんです。皆で囲んで食べられるようにと。
金世帯数も少ないのに。
李オモニたちの準備は大変だと思います。幼稚園児と中学生が一緒に綱引きする姿なんか見ると、その健気さというか、園児も立派にこの学校の主人公なんだなと。
金子どもたちは楽器に触りたがらないですか?
李それはあります。生の演奏を聴くのも、生の楽器に触れるのも、この機会しかないので興味津々のようで。去年はティンパニをもっていったんですが、たたかせてほしいと言われました。曲目が終わるたびに学年ごとに「コマッスンミダ」とあいさつしに来ます。
金初級部はどこに?
李中大阪初級学校に行っています。中大阪初級学校には、吹奏楽団の練習室があるので、何を差し置いてもこの学校の運動会には行かなくてはということで。中大阪の運動会は秋なのですが、春には東大阪初級学校に行ったことがあります。
金じゃあ、子どもたちは幼いころから生演奏を聴きながら育つのですね。
李そうですね。あと各学校で夏休みに行われる納涼会でも演奏します。去年は大阪第四初級学校と中大阪に行きました。
金学校と一体になって活動しているんですね。
李そうですね。中大阪初級学校とは本当に一体ですね。自分たちの楽団と思って使ってもらっています。中大阪は私が通っていたころは中級部も併設されていたのですが、今は初級部だけで児童も減って四十人くらいだと思います。
金吹奏楽団で一番楽しい時はどんな時?
李二つあります。一つは、やはり音楽をする団体なので定期演奏会の出来、不出来で喜びを感じることもあれば悔しい時もあります。来てくれた人たちにいい演奏を聴いてもらったときは、満足感に浸れますね。若い団員たちと一緒に練習を積み重ねて、その成果でお客さんたちに喜んでもらえたときはうれしいですね。もう一つは、大阪における在日朝鮮人の運動として、学校の運動会とか納涼会で、同胞たちの役に立っていると思えたときに、やりがいを感じます。
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