今、教育が変わろうとしている=「知識」から「情報活用能力」へ
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在日朝鮮学生美術展(学美)やICT教育の取材をしながら、本誌20号で元小学校教員の善元幸夫さんが、ボーダーレス化する現代について語った言葉が頭をめぐっていた。
「学校で言うと、あなた聞く人、私教える人っていう関係がなくなってきている。…黙って俺に付いて来いっていうんじゃない。今は誰かがおろおろしたら一緒におろおろするしかないんですよ」。
そんな善元さんが推奨するのは「子ども中心授業」。例えば韓国から来たダブルの子が「キムチくさい」といじめられたときには、キムチが日本で食卓に上る漬物一位だということや外国から伝わった唐辛子と出会ったことでさらにおいしく栄養価も高まったことなどを解説し、最後にキムチを作った。キムチと一緒にブルーチーズや納豆の匂いを嗅いで「キムチくさい」という言葉の意味を考えた。この授業で子どもたちは「モノや人が出会うことで生活や文化が変わる」ということ、「匂いの好き嫌いは相対的で文化の違いだ」ということを学び、いじめられた子供は「日本のお父さんと韓国のお母さんと出会って僕が生まれました。キムチと同じです。だから僕は韓日本人です。いいものがいっぱいあると思います」と感想を書いた。彼が力を入れる授業は、覚えるのではなく考えて伝える授業だ。そうすることで授業はもっと面白くなり、子どもの学びはエンドレスに広がるという。
一方の学美。本誌34号で学美の審査委員長を務める朴一南先生は、「今のウリハッキョの授業は、教員が一つのポイントを投げると、子どもたちがそれぞれいろいろな発想をして、自分の作品を作るためのいろいろな材料を選択し、いろんなところを飛び回るという拡散型です。絵で表現する子どももいれば、立体で表現する子どももいます。そうしてそれぞれの目標に向かって拡散していく、それが今のウリハッキョの美術授業です。だからみんな違うのです」と述べていた。言葉の通り、一学期の授業で制作した作品が並ぶ学美展はバラエティに富んでいる。それぞれの作品から制作している子どもたちの表情が見えてくるようだ。とはいえ、「こういう絵をかきましょう」という集約型の授業に比べて拡散型の授業は統率も効かないし、大変やりにくい。大切なのは教員が「表現するということは楽しいし、うれしいし、面白いよということを実感し」、「子どもの作品を見て『かっこいいな』と心から実感」することだという。ウリハッキョは、少人数で生徒と教員の距離が近く一人一人に目が届くため、遊びからいろいろなことをするというやり方には有利だそうだ。
ではICT教育で、知識を授ける先生と、受ける生徒という教室の構図はどう変化し、授業はどんなものになっていくのだろうか?
今回、本誌へのインタビューで朝鮮大学校の河民一先生は、「これまでは受験戦争などで知識が豊富なことを競いました。これからは豊富な知識はコンピュータにあるので、その豊富な情報のどの部分を取り出してどう活用するのか、それをほかの人たちと協力してさらに有効なものにするためにはどうすればいいのか、ということが大切になります。そのためにICT教育では、協働学習(子どもたち同士が教え合い学び合う協働的な学び)が必ず取り入れられます。これから社会で活躍する子どもたちには、人と活発に意見交換をしてそこから正解を引き出して何かをやり遂げるという力が必要なのです」と話していた。
また教員の役割について「ファシリテーター(会議など複数の人が集まる場で舵取りを務める人)のような役割が求められるのではないでしょうか。何しろ今までのあり方は、変わるということです。まだ見えていないところが多いのです」とも語っていた。
今日ここまでコンピュータが日常生活に浸透している中で、ICT教育の導入は喫緊の課題だ。学校での様々な既成概念が変わろうとしている。「誰もが情報を活用できる能力をもって、授業だけでなく生活の中で自然にその能力を発揮できるようにするのが今の目標です。ただ対処できるのではなく、発信して得るものがなくてはいけないと考えています」(河民一)。
善元先生が語るボーダーレスな現代に求められる「子ども中心授業」、学美での自分の作品作り、そしてICT教育。共通点は、子どもたちの立場がこれまでの受け取る側から発信する側へと移動することだ。その先に何があるかはまだ見えていないが、個性を尊重し、多様性を重んじて活用することが社会を豊かにしていくという学びがあるのではないかという理想を描いてみる。
(金淑子・「記録する会」)35
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