民族の歴史や文化、知識として継承できても 血と肉に変えて吸収はできない
スポンサードリンク
マイノリティの在日朝鮮人三、四世のアイデンティティ
鄭梨愛・朝鮮大学校研究院総合研究科美術専攻在学中
1991年11月 神奈川県で生まれる
横浜朝鮮初級学校卒
北海道朝鮮初中高級学校卒
2012年 朝鮮大学校 教育学部 美術科卒
現在・朝鮮大学校 研究院総合研究科 美術専攻在学中。
スポンサードリンク
合同展示会「武蔵美×朝鮮大
突然、目の前がひらけて」について
金淑子合同展示会は反響が大きかったようですね。
鄭梨愛メンバー全員が集まって、どうだったかを振り返るということをまだ一度もやっていなくて。今は一二月中旬の学内展示(一月下旬に延期)に集中していますし、正直まだ全然まとまっていないですね。終わってからの自分の変化についてもまだ全然気づけてないですし。ただ自分の出品作について感じることはあります。反省点がいっぱい。
不特定多数のいろんな方に見てもらえたのは初めてだったので、来られた方たちの反響を自分なりに、受け取ってみて。今まではどっちかという在日の方に向けた作品、姿勢だったので結構構えられていたと思うんですが、ああいう不特定多数の方、在日じゃない方も含めて、いろんな方に見てもらった時に、柔軟性って言ったらちょっと違うような気がするのですけど、自分の作品の幅みたいなものをもうちょっと広げた方がいいのかなと思いました。それがいい作品制作につながるかどうかはわからないですけれども。
金淑子話すときに相手によって言葉が変わるようにですか?
鄭いいえ、というよりは、一つ何かのテーマに取り組むのに、自分は在日朝鮮人の作り手としての姿勢で作っていたんだなと思って。もちろん客観的には切り離せないものなんですけど、立場が違う人が自分の作品を見たときに、どういうことが起きるのかというのを自分は全然考えてもいなかったんです。今回いろんな方たちに見てもらって、在日朝鮮人の姿勢を崩さずに視野を広げて、もっと柔軟な作品制作をしたいなと思ったんです。柔軟なという言葉しか適切な言葉が思い当たらないんですけど。
金在日朝鮮人を厚みをもって表現するっていうことですか?在日朝鮮人を、日常の生活者としての部分も含めて描いていくということでしょうか?
鄭うーん、まあそれも含めて。展示会を準備する対話の過程でも、自分をちょっと離れてみられる機会はあったなと思ったんですよ。自分が今おかれている状況だとか、環境を。それを私は自覚せずに作っていた気がするんです。いろんな立場に立つ自分がいるじゃないですか、いろんな人から見た。そういう幅を自分が自覚して、柔軟さがある作品を作りたいなと思って。それがさっきも言ったように、いいものになるかどうかはわからないですが、そういう気付きはありました。
金今、朝大に来て何年目?
鄭六年目になります。
金交流が二〇一一年に始まったということで、交流と並行して朝大生活のほとんどを送ってきたということですね。
鄭そうですね。初めての時はクラスで動いていたので、自分はクラスの雰囲気に動かされていたというか。武蔵野美大とつながらなくてはという意識がないまま、自然とつながっていったという感じでした。
金当時のクラスは何人くらい?
鄭男性が二人で女性が五人、全員で七人でした。七人で二年間過ごして、そのあとは研究院に残ったユギョンと晶玉と私でつながっていきました。
金朝大生活と並行して交流を重ねてきて、プラスの面は多かったですか?
鄭多かったですね。学部の二年生の時期から交流ができて、朝大の生活と並行してそういう風にやってきたんですけど、それ以外にも自分自身にとって大きな出来事がいろいろあったので、その中の一つとしか自分の中ではとらえていませんでした。だから作品制作と交流という二つが大きくあったというわけではなくて、作品制作で刺激がもらえる一つの事としかとらえていなかったです。そういう出来事はほかにもいっぱいありましたから。そういう蓄積があって、今回こういうふうに大きなイベントになったのですが。自分では、これに一生懸命取り組んできた、活動家としてやってきたというつもりはなくて、本当に気が付いたらこんなふうになったというのが正直なところです。その都度一生懸命やってきたつもりですが、そういう姿勢だったので、反響があまりにも大きくて、本当、今はまとまっていないです。
スポンサードリンク