私の東京第3初級学校物語(12)結婚式に参加して
スポンサードリンク
錆びていないだろうか…
黄恵美・東京朝鮮第3初級学校教員
先月、結婚式に参加するため、名古屋にいってきた。
新郎は春日井にある東春初級の現職の教務主任だ。四日市出身で、私が二年目の時、実習指導をした。四日市にいた時、大変お世話になった教育会会長(当時)の息子である。
気がやさしく穏やかで、誠実だ。
朝大を卒業し、北陸で教鞭をとったかれは、二〇代半ばで北陸の教務主任となった。二、三年して教務主任になることは、地方ではそれほど珍しいことではない。一〇年ほどして、東春に異動したという。
新婦は、岐阜出身だが、現在名古屋初級学校の教員である。二〇一〇年に、祖国で行われた国語講習に一緒に参加し、一か月、共に学び語り合った仲だ。
彼女は、しっかり者で教養があり、研究熱心で、さらに民族教育に対する熱い気持ちを持っている。彼女と話していると、ふと自分より年下ということを忘れてしまう。
私が用事で名古屋に行くときは、必ず会っていた。また、彼女も東京に来るときは必ず連絡をくれた。彼女の岐阜の実家に、遊びにいったこともある。
ふつう、私と彼女の年齢差を考えると「妹的存在」というべきだが、彼女は私にとって、「親友」、「同士」であり、「尊敬する教員」だ。
そんな二人が結婚すると聞いて、とても微笑ましく思ったのは、私一人ではないだろう。
私は新婦側で参加したが、式場には四日市の懐かしい顔ぶれがそろっていた。受付をしていたのは、四日市の教え子だった。現在、高学年の複式授業をしているという。
共に祖国講習で学んだメンバーも再会し、結婚式の円卓が、(祖国講習で一か月滞在していた)「平壌旅館」の食堂を思い出させると言って、みんな懐かしがっていた。
二〇一〇年から五年たっても、みんなが揃うと、つい最近の出来事の様に、祖国講習の日々が蘇ってくる。
結婚式は、言うまでもなく素晴らしかった。同胞たち、学生たち、同僚たち、同級生たち…新郎新婦が、本当にたくさんの人たちに愛されているのだという雰囲気に、あふれていた。
二学期が始まり、忙しくなりだしたころだったので、結婚式に参加してリセットし、また明日から頑張ろうという気持ちで東京に帰った。
人の縁というのは不思議なものだ。
四日市で私が初めて担当した実習生と、その数後に祖国講習で出会ったメンバーが結婚した。二〇一〇年の祖国講習は大きな転換点だった。この講習に参加して、得たものは本当に大きい。今まで、自分がどれだけ無知で未熟で中途半端だったのかを一か月間、思い知らされた。そして学ぶと言うことは本当に楽しいということを実感した講習でもあった。
素敵なメンバーに出会い、二〇一二年の「強盛大国」を目前に目まぐるしく発展する祖国の姿を目の当たりにし、ここからまた頑張ろうと決心したのを思い出した。
あれから五年、私は錆びていないだろうか。
私が朝大を卒業し教員になるとき、当時国語を教えてくれた教師が贈ってくれた言葉がある。
「녹이 쓸어서는 안됩니다.(錆びてはいけません。)」
たった一言だった。すごく重みのある言葉だと思った。
朝大を卒業する時、東京に戻って来た時、私が教員になったことを一番喜んでいたハルモニ[祖母]が亡くなった時、祖国に行った時…そして、学校創立七〇周年を前にした今。結婚式に参加して、色んな事を思い出させてもらえた気がする。
それから数日後、東京第五の高完植校長から電話がきた。
電話を受け取るや否や、「だれの許可をとって、わたしのことを勝手に書いているんだ!」.
口調は強めだったが、電話越しの顔がにやけているのが、受話器から伝わる。
どうやら、前回の『朝鮮学校の風景』の記事を読んだようだ。
それから、「競演大会の準備はどうだ?」「バザーはいつだ?」、「七〇周年公公演の準備はどこまで進んだか?」と、いつもの一方的な質問が始まる。
そして、電話を切る際は必ずこういってくれる。
「계속 잘하세요(これからも頑張りなさい).」
受話器を置きながら、背筋がピンと伸びる。(2015・10・23)34