特集)凄いぞ!!学美の世界!!(上)
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番外編・神奈川朝鮮中高級学校美術部展示会
もくじ
「発展」と「劣化」2015.11.5~10
その展示はクジラの体内で暴れる巨大なウイルスの様
崔誠圭
神奈川朝鮮中高級学校美術部展は毎回パワフルな作品達を見せてくれる。今回は大桟橋のクジラのおなかと呼ばれる場所で開催されている。
その展示はクジラの体内で暴れる巨大なウイルスの様だ。だ。
中一から高三までの美術部作家達は通る人達を捕まえ、自分の作品を解説する。聞きたくなくてもその熱にうなされた様な作品への想いに圧倒されて、つい質問や感想を述べてしまう。すると更に作家の言葉の波が押し寄せ、飲み込まれてしまうのだ。
つい、大人げ なく質問を続けてしまえば、その時はもうウイルスに感染している、という事になる。
展示期間中、八〇〇人以上を感染させるこの展示、作家本人の語りや真剣なる表情も含めての作品群と言える。
それの何が悪かろう。
作品コンセプトを語りあえる展示など、日本では殆ど皆無であり、語らない事が美徳と言うが如くすましている作家達と比べ、自分をさらけ出してしまっているこの展示の何と清らかなことか。この日本国で今の世界の情勢や事件に関してこれだけ喋りあい、感じる展示は朝鮮学校の美術部達の展示だけなのでは無いだろうか。
全てのアーティストは自分の作品についてもっと語らなければならないと思う。
その作品が、日常の恋の話であれ、貧困にあえぐ人々の話であれ、さらけ出し語る。作品の価値がなくなってしまう位に自分ごと見せてしまった時にそれが本当に今の自分の存在から吐き出さなければならない表現なのか、他人の思考を通じて確認される。
「自分の作品」を語り合う中で学ぶという姿勢を崩さない学生達の姿は、ソクラテスの語る「無知の知」を思い出させてくれた。
問う、語る、の繰り返しは言葉でも、作品でも、全ての表現においても実行されるべきだ。
次の展示でも、この幼き、若き作家達と語り、問い、また語りあいたい。
「美術部に入らなかったら…」
金淑子
一一月七日、曇り空の下、神奈川朝鮮中高級学校美術部の展示会を見に横浜へ。会場は、煉瓦倉庫横の大桟橋国際客船ターミナルのイベント会場の一角だ。人通りが多い。ぶらっと来た家族連れや友人同士らが何となく立ち寄って絵に見入っていた。そんな人たちに、生徒たちが近づいて行って自分の絵を説明していた。その積極さがまぶしかった。
入り口には大型の立体作品が並んでいた。グレーの厚紙で作った同じ大きさの大量のキューブが崩れていた。情報があふれる現代社会を表現しているという。
中に入って行くと、ク・ユナさんの作品が目に飛び込んできた。制服を着た少年の隣に「かわいい子には旅をさせろ!」という文字、背景には複数の銃と手榴弾が整然と流れるように描かれている。タイトルは「戦へ」。対となる絵にもやはり少年と「番号で再建」という文字、少年の頬には「いい国作ろう日帝国」の音をもじった数字が刻まれている。
タイトルは「マイナンバー」。前者の背景は明るい赤、後者は青、見た瞬間ドキッとする。中学一年生の作品と知ってさらにびっくり。近くに展示された家族四人が笑顔で写真を撮っている「入学式」という彼女のもう一つの作品を見て、そののどかさとの対比に今度は唖然とした。作者の話を聞きたかったが、中央芸術祭典に参加するため大阪に行っていて会えなかった。
奥にすすむと今度は八枚の連作がこっちを向いていた。作者を捜して話を聞いた。いつまで待ってもいっこうに現れない友だちを待つ苛立ち、来ないと知ったときの怒り、怒りが静まる一方でふくれあがる挫折感、人間不信、そんな経験を八枚の連載に表現したと言う。
作者のチョウ・ヨンスさんは高校一年生。十代半ばの大人一歩手前のそんな時期に、自分の心の移り変わりを客観的に八段階に区分して、油絵に布や針金まで用いてこれほど見事に再現できることに驚いた。衝撃が大きかったので作品に取りかかるまで時間が掛かったが、始めると一日二十分くらいで一枚を仕上げていったという。
リャン・ユシンさんの夜道を歩く人を描いた「月の明かり」のたたずみは何とも言えない味わいを出していた。今も心に余韻が残っている。
従軍「慰安婦」問題に取り組んだ女子生徒もいた。同級生一四人の女子生徒の顔を並べたと言う言葉に、衝撃的な歴史的事実を身近なものとして感じようとする彼女のひたむきさを感じた。
四人の生徒に作品の説明を聞いた。そのうちの二人が「美術部に入らなかったら、自分をどう表現したらいいかわからないで過ごしたと思う」と言っていたのが印象深かった。
お仕着せではない、模倣でもない、広がる私たちの世界
金日宇
展示会に行くのは三回目、今回のテーマは「発展」と「劣化」でした。たくさんの生徒が話しかけてくれました。前回、はにかむように話していた女子生徒、生意気だけだった男子生徒の「成長」には驚きました。創りだすということは、自己の確立を伴うものなのですね。
舞踊部やサッカー部から美術部に転部した生徒たちは、集団ではなく、自分自身が新しいものを創りださなければならない、難しさと、やりがいを語っていました。
今年の「学美」に展示された作品の写真を観てfbにアップした一文に託した思いが再確認できたひと時でした。
「学美」に行こう!! そこに行けば、お仕着せではない、模倣でもない、私たちの世界が広がっています。
この地で私たちの教育がスタートして七〇年、私たちの子どもたちは、私たちの感性を表出し、私たちのことを描く・語ることができるようになりました。
私たちとは? これからも日本で生きていく、生きていくほかない朝鮮人です。
作品の前に立てば、そんな「私たちの」のために、「ウリハッキョ(私たちの学校)をなくしてはならない」、「私たちの学校を守ろう」という気持と共に力が湧いてきます。34