在日朝鮮人コミュニティがあるから、子どもたちが安心して表現できる
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インタビューを終えて
金淑子・「記録する会」
十月初、在日朝鮮学生美術展・神戸展が開催されていた原田の森ギャラリーで話を聞いた。拡散型授業のイメージがつかめない私の、道具はどう準備する? 写生は?などという些末な質問にも丁寧に答えてくれた。初級部児童の絵にも「すごい!」と感動し、「この絵は指が六本なんです。五本であることに違和感を覚えたと言うんです」と生徒の感性を誇らし気に語るおおらかさ、切磋琢磨する若手教員たちについて語る時の期待に満ちたまなざし、事故で不自由を負ってもなお旺盛な制作への意欲、学美を世界へという夢を語る時の晴れやかさ。こんな先生に出会っていたら私の美術コンプレックスは解消されたかもしれないと、生徒たちがうらやましくなった。
インタビューの前に会場の絵を見て回った。毎年のことだが、学美展は本当におもしろい。人が寝静まった後に箱から出てきて自由におしゃべりし、遊び回るおもちゃたちの部屋のようだ。あっちに笑いころげている子どもがいて、こっちでいたずらしている子どもがいる。向こうに一心に打ち込んでいる子どもがいて、そっちにはふざけておどけている子どもがいる。
チマ・チョゴリを着て歩けば、どんな危害を加えられるかわからない。郵便局で朝鮮民主主義人民共和国に住む妹に手紙を送ろうとすると、「警察を呼びますよ」と警戒される。植民地時代から長い間、差別意識や侮蔑を込めて使われてきた「朝鮮」という呼称は、解放から半世紀以上も経った二〇〇〇年以降「怪しくて危険な存在」というようなイメージを塗り重ねられ、さらに嫌悪感が更新された。悪意と侮蔑に満ちた「北朝鮮」という呼び方、ルーツを否定するような歴史観が、日々メディアを通じてジャブのように私たち在日朝鮮人の胸の奥を打つ。そんな中で「朝鮮」への拒否感を身にしみて実感している子どもたちは、朝鮮学校への無償化制度適用を訴える場でさえ「在日朝鮮人」と名乗ることを躊躇する。「朝鮮」という響きが自分たちの訴えをシャットアウトするのではないかと。
ところが子どもたちの絵は、そんな社会状況をみじんも感じさせない。「在日朝鮮人」であることを無条件肯定して、子どもたちの素直で個性的な感性を大切に、萎縮させることなく自己を確立させようという先生たちの情熱がなせる技なのだろう。まさにそれこそは朝鮮学校の存在意義でもある。
朴先生は、朝鮮語と日本語を使い分ける環境で育った朝鮮学校の子どもたちは「優れたバランス感覚」を持っているという。たとえ「在日朝鮮人」と自己紹介できなくても、日本名を名乗っても、朝鮮学校を中心にした同胞コミュニティという拠り所があるから、異なる者を排除しようとする偏狭さに対峙しながらもその醜さに染まることなく、優れたバランス感覚で地に足付けて「在日朝鮮人の自己」を実現していけるのだ。学美はそんな人材を育てる民族教育の先頭を、多様化する現代の最先端を行っているのかもしれない。34
■最近、本誌で紹介した「学美」の世界
- この時代に在日朝鮮学生美術展と出会うということ 仲野 誠 *本誌23号
- 日本人来場者が経験した在日朝鮮学生美術展 仲野 誠 *本誌25号
- なぜ在日の作品がサハリンで? 成明美 *26号
- 「ユーラシア青少年平和美術展」に招かれて 成明美 *27号
- 紹介 イ・チョルチンさんの第四二回「学美」参観記 *本誌27号
- 東京近隣の朝鮮学校・周辺ストーリー 神奈川中高美術部の展示会へ *本誌27号
- ウリハッキョ探訪・番外編 第四三回学美東京展 *本誌29号
- 土偶との出会いとウリハッキョでの美術・図工の時間 金明和 *31号
- 第四三回在日朝鮮学生美術展出雲展・日本人スタッフの感想 仲野 誠 *本誌31、32号