在日朝鮮人コミュニティがあるから、子どもたちが安心して表現できる
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バランス感覚秀でたウリハッセン
金「学美的」というのは、在日朝鮮人の生き方と通じるところがあるのでしょうか?
朴どうでしょうか。やはり在日というのは枠にはまっていたのでは生きていけませんからね。そういうたくましさはDNAとしてあるんでしょうかね。もう一つは表現することに対して貪欲というか、積極的なところがありますよね。ふつうは周りに合わせようとしますよね。ところがウリハッキョの子どもたちは他人と違うものを求めますよね。ほかの生徒とカブる(重なる)のを嫌がります。自分はこうだと主張します。
それにバランス感覚が秀でているんですよ。ウリマルと日本語を使い分けるような環境で育っているからでしょうか。「集団主義教育」と「集団教育」の違いだと思います。集団と個人の間をどう取り持つかということを教えるのが「集団教育」で、「集団主義教育」というのは集団が優先される教育です。ウリハッキョの教育の中で培われたものがあって、子どもたちはうまくバランスをとっている。たくましいのだと思う。「集団主義教育」かというと実はそうでもない。「個人主義教育」でもない。「集団教育」になってバランス感覚がよくなっている。どこにもない教育になっています。
金子どもたちの絵に在日の感性は潜んでいるのでしょうか?
朴私は、初級部は飾磨初級学校、中級部は日本で最初に中等教育を実施した西播朝鮮中学校でした。アボジは一世で、オモニは二世、朝鮮部落で育ったので、『血と骨』(梁石日の小説)の世界でした。私が寝ていた部屋の後ろは豚小屋だったんです。なので、二十歳の頃、最初に描いた作品が「同胞」と言うタイトルで豚小屋で豚を飼っているアジョシ(おじさん)でした。
今の子どもたちに在日は潜在意識として潜んでいるかもしれないけれど、外には出ません。色彩感覚として原色に抵抗がないところはあるかな。個人差はあるけれど、表現なんかにあるでしょうね。ルーツを知識として知っているけれどもそれがいつも表現されるかどうかというとどうかな? でもウリハッキョたるものはあると思う。それは周りへの配慮ができるというところです。それはすごいです。
金トンポトンネというのは今も生きているのでしょうか?
朴それは生きています。運動会で集まって食事したり、一杯飲んだり。それはすごく大きい存在だと思います。
金それは子どもたちの感性にプラスになっているのでしょうか?
朴絶対プラスになっている。コミュニティに対する安心感、愛着というのは絶対プラスになっている。これは財産です。在日コミュニティは学美にとっても財産です。感性を育てる何よりも大切な財産です。在日朝鮮人コミュニティがあるから子どもたちが安心して表現して、安心して描いています。なんであんな絵が描けるのかなと思うと、そういったコミュニティの中で培ったものがあるから、安心して表現できるのです。学校の雰囲気もそうですが、教員の雰囲気によっても変わってくると思います。ウリハッキョがなくなるということはコミュニティがなくなるということです。人間のあるべき姿をなくすということはいろんな人 の財産をなくすことになると思います。