在日朝鮮人コミュニティがあるから、子どもたちが安心して表現できる
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枠にはまらないのは「学美的」
金鳥取県立大学の仲野先生が学美を絶賛していますが、仲野先生とはどういうきっかけで出会ったんですか?
朴神奈川では学美の作品と日本の学校の作品が一緒に展示されます。二〇〇八年の第三六回の神奈川展示会で、用事で神奈川に来ていた三谷先生という日本の学校の先生が、ウリハッキョの子どもたちの作品を見たんです。「これはすごいな」ということで、ぜひ展示したいと受付をしていた成明美先生に申し入れたんです。それでその成先生が私に、こういう申し出があったんですが、連絡が行くはずですと電話をくれて、いいよというとそのあとすぐに電話が来ました。大変情熱的な先生で、今度クリスマスに神戸朝高に訪ねていきますと言って、本当に来たんですよね。びっくりしました、その情熱に。
金三谷先生はどこの先生だったんですか?
朴今は退官されましたが、以前は鳥取の羽合小学校で、その前は倉吉の小学校で教えていらっしゃいました。その三谷先生の友達が仲野先生でした。
金じゃあ初めて学美の絵を鳥取に持って行ったのは三谷先生だったんですね。
朴三谷先生と仲野先生、それとその仲間たちが一緒に。三谷先生は鳥取県在日外国人教育研究会連絡会の代表で、人権関連のことに携わっている人たちとたくさんつながりがあって、そういう人たちが集まって実行委員会を作って、翌年の三月に鳥取県の倉吉で第三七回在日朝鮮学生美術展を開いたのが最初です。三八回は米子で、三九回は鳥取市で、四〇回は再び倉吉、四一回は米子、四二回はかつて朝鮮学校があった島根県の松江で、去年は出雲で、今年はまた鳥取県の倉吉に戻って開催されました。
金仲野先生は本当に熱心ですよね。
朴熱心どころじゃないですよ。地方巡回展も全部見て回っていますからね。仲野先生は社会学が専門なので、最初は研究対象かなと思ったんです。それで「研究対象ですよね」と聞いたら、最初は笑っていたんですが、今は違います。「仲間だ」と。研究対象じゃないと。自分たちも学んでいるし、一緒に積み重ねていきたいと。
朝鮮大学校で行われる中央審査に、今年仲野先生が教えている島根大の学生が七人ほど来たんです。島根から鈍行列車で二日かけてきたというんですよ、学生でお金がないから。学美の審査を見学するためだけに。それで審査に参加してもらって、また二日かけて帰って行ったんです。観光するでもなく、ディズニーランドに寄るでもなく、ただ中央審査のために。話すとすごく感動しているんですよね。大いに満足してくれたようです。
金私たちは彼らの純粋さに感動しますけどね。
朴感動しますよね。なんでそこまでと。
金三谷先生とは今もよく会うんですか?
朴明日お会いします。本当は一昨年退官される予定だったんですが、一年延ばして去年退官されたんです。なぜ伸ばしたかというと、学美のような作品を子どもたちに創らせたいと。今、退官後は、トラックに学美の作品を載せて全国を回るのが夢なんだそうです。
金なんでそこまで魅了されるのでしょうか?
朴わかりません。仲野先生がよく言うのは、枠からはみ出たサーチライト型だと。今、学美山陰実行委員の中では「学美的」という言葉がはやっているそうです。枠にはまらないとか、そういったことを「学美的」と言うそうです。
金神戸朝高の美術部生徒の作品が大阪大学に常設展示されるようになったというニュースも聞きました。
朴去年出雲で開催した学美展にウリハッキョの生徒が行って、そこで三谷先生が一緒に来られた大阪大学の榎井縁特任准教授を紹介してくれました。榎井先生は神戸朝高の呉世蘭という生徒の作品「ⅩⅧ」since 1996.06.09が大変気に入ったようで、是非大学で展示したいと言われて大阪大学の未来共生プログラム文理融合型研究棟六階ホールに常設されることになったのです。三月には大阪大学大学院卒の学生で構成された「未来共生イノベーションプログラム」の先生や学生、それに呉世蘭さんの両親や朝高の教員が集まって、呉さんの講演会が行われました。呉さんの場合は、現代美術の中でも音楽とのセッションをしたいということで、今は京都造形芸術大学で勉強しています。
金学美への評価はどんどん広まっているんですね。
朴世界中に学美を広げたいと思います。学生美術展をソウルでまず開いて、そこでの反響を起爆剤にしてアメリカに持っていきたい。ニューヨークとロサンゼルスに。ここでファンを増やしてヨーロッパ。ドイツとオーストリアが、美術教育の研究が盛んだそうです。そこで学美の作品と論文も発表して。そうなったら在日の学美じゃなくて世界の学美になります。そうして世界のコリアンたちに、この学美を作った在日の民族教育を守ろうとアピールしたい。