在日朝鮮人コミュニティがあるから、子どもたちが安心して表現できる
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中央展から地方展へ、集約型から拡散型授業へ
金初めて生徒を教えた頃のことで印象に残っていることなどは?
朴あまり覚えていないです。ただ新鮮でした。西神戸から始めて間もなく西播にも通うようになったんですが、西播は家が近かったんです。それでおのずと西播に力が入るようになって。初め神戸朝高の美術部に指導に行った頃は女子ばかりのクラブでした。これではまずいと思って、西播で男子ふたりを意識的に育てました。その二人が朝高でも美術部に入って、さらに二人の男子を誘ってきて、四人の男子部員が生まれました。それから私が作った美術部の始まりです。彼らが東京朝高を破って初めて学校賞を獲得したんですが、その内の一人が今は美術教員として学美の中心的人物です。彼らは今年でもう四八歳になりました。それ以降ずっと、学校賞を獲得してきました。学校賞が優秀クラブ賞になって一年だけ途切れたことがありましたが、そのとき以外はずっと。去年も今年も。今年は合わせて三〇回目の受賞でした。正式に美術の専任講師として神戸朝高で授業もするようになったのは、震災(阪神淡路大震災)後のことで、それまではクラブ指導が主でした。
学生美術展覧会では四年目から最年少で中央審査委員を務めました。大抜擢でした。選ばれたときは驚きました。朝大の金漢文先生の期待もあったと思います。この審査で多くの刺激を受けました。歳の近い教員たちが多くて、一緒に写生したり、けなしあったり、活発でしたね。そんな中で何か新しくチャレンジしなくてはという話になって、デザインを始めたり。
学生美術展は、最初は中央美術展覧会と言って入選、入賞作を東京朝鮮中高級学校の地下に展示していたのですが、一五回(今年が四四回)頃から地域の学校でも展示するようになりました。そうしているうちに地方の力も強くなり、東京での展示会も中央展ではなく東京展として巡回展の一つになっていきました。現在のように、写真入りのカラー刷りチラシも作って広告するようになって十五年ほどだと思います。最初は三~四か所でしたが、ここ一〇年ほどは十か所で開催しています。
金学生美術展の特徴は?
朴まず日本の学校では専科の先生がいて四百人くらいの生徒を担当します。その他、担任の教員がいろいろな科目を教えます。文科省の基準があってこの基準を消化するために大変苦労しています。それをクリアするためには全員を一定のレベルに上げなくてはいけない。そしてある程度できればそれ以上は求めない。これが普通の美術の授業です。いろんなタイプの生徒に「こんな絵がいいんだ」と示します。それが教科書の絵であったり、先生自身が設定した絵であったり。こういう授業を集約型授業とでもいいましょうか。ウリハッキョでもそうしていた時期がありました、最初のころは。でも今は違います。
金変わったのはいつ頃ですか?
朴特に大きなきっかけは、震災の時に長田にある西神戸朝鮮初中級学校(当時)の美術の先生が、子どもたちの苦しい体験を吐き出させなくてはいけないと思い、正面から取り組んだことでした。