朝鮮学校の教育権利勝ち取って次世代に民族の言葉、歴史、文化を
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インタビューを終えて
金淑子・「記録する会」
七月末の暑い日に、東京・墨田区のファミリーレストランで話を聞いた。先生とは一九九〇年代、中央教育局や中央教育会で活躍していらした頃に、朝鮮新報社の記者として何度かご一緒したことがある。大病をなさったと聞いたが、民族教育への情熱は当時のままだった。
九〇年代、朝鮮学校への差別はいけないという世論の高まりを日々実感できるような時期があった。新聞や雑誌、ラジオやテレビが連日朝鮮学校を取り巻く差別を大きく取り上げ、是正を呼びかけた。きっかけは大阪府高体連の春季大会で一次予選を突破した大阪朝鮮高級学校女子バレーボール部に、大会への参加資格がないことが明らかになり、二次予選への参加が取り消されたことだった。彼女たちの涙の記者会見が全国に大きな波紋を呼んだ。これを機に各地で動き始めていた助成金支給や公式試合への参加、朝高卒業生の大学受験資格認定を求める運動が一挙に勢いづいた。JR定期券の学割適用を求めて連日JR本社を訪れるオモニたち、朝鮮学校生徒の高体連加盟を求める署名運動に合流する日本の高校生たち。当時は朝鮮学校が正規の学校として認められるのも時間の問題かと思われた。しかしその一方で通学時に生徒のチマチョゴリが切られるなど、脅しや嫌がらせも相次いでいた。朝鮮学校をめぐる世論は常に「受け入れ」と「排除」のせめぎあいなのだ。世論はふとしたきっかけで大きくぶれる。今日の厳しい現状はまさにそのことを立証している。民族教育を守るためには情勢によって向きの代わる風ではなく、教育そのものに対するゆるぎない支持の積み重ねと法的地位の確立こそが大切なのだと、当時を振り返りながら改めて思った。33