元気を出して、私たちがいる あきらめなければ、必ず勝利する
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〈朝鮮学校について〉
「どうして何もしない?」と問う日本の友人
金朝鮮学校について伺います。朝鮮学校をどこで知ったのですか?
孫「私は全国女性連帯の常任代表を務めながら統一運動をしています。以前は民主主義民族統一全国連合の女性局長を務めていました。以前から活動を通して、東京にある日韓民衆ネットワークと連携してきました。3・1節には我々が訪ねて行って講演をして、8・15には日本から訪ねてきて韓国の光復を一緒に記念します。このネットワークの日本の方たちは、主に韓国の良心囚支援活動や韓国の労働権獲得運動を支援してきた方たちで、本来はそれぞれがそれぞれの分野で連帯して運動していました。
二〇一一年三月の東日本大震災以降、日本では、原発反対運動などで平和フォーラム(正式名称「フォーラム平和・人権・環境」)の活動が盛んですよね。ネットワークのメンバーの中でも平和フォーラムの活動をする人が多いようです。一方、私たちも日本の軍国主義化反対などと関連して様々な活動をしているので、その活動で会うことも多くなりました。そうして何度か会ううちに、ネットワークも大切だけど、平和フォーラムと連携した方がより幅広い活動ができるはずだと、ネットワークの人たちが彼らとの連帯の道を切り開いてくれたのです。そうして平和フォーラムと連携するようになって三年ほどになります。
平和フォーラムの中に「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」や「朝鮮高校生の裁判を支援する会」の活動をする方がいます。彼らが私たちと会う度に、「日本でこうして活動しているのに、韓国では自分たちの同胞の問題に対して何もしないのか」と聞かれます。
韓国には「国家保安法」という法があります。そういう問題が提案されたときにこの法のことが浮かんで自ら活動を自粛してしまう傾向があるのです。運動の中で獄中生活を経験した私たちでさえそうなのです。東日本大震災が起きたときモンダンヨンピルは、戸惑うことなく支援に立ち上がりました。ところが全国教職員組合は、支援したいのに、支援していいものかどうか躊躇してしまうのです。それでモンダンヨンピルの支援に直接加われませんでした。日本政府の朝鮮学校に対する対応が不当なものだということはわかっていても、私たちが支援することが果たして助けになるかどうか、考えてしまうのです。
もう一つはこのダイナミックコリアで、私たちがすべきことが多すぎるのです。その上日本の朝鮮学校の問題にまで取り組んでやり遂げられるのかと言う問題もあります。大切な問題だけど、私たちができることではないと考えていたのです。
ところが日本に何度も行って彼らに会うたびに、「あなたたちも立ち上がるべきだ」と言われて、そのたびに恥ずかしい思いをして。特に今回は、高校無償化制度から朝鮮学校だけを排除するという明らかな差別で、子どもたちが裁判の原告になって、毎週金曜日に文科省の前で訴えたり、保護者や良心的な日本の人たちが一緒に闘ったりしている姿を見ながら、じっとしている自分たちが情けなくて。これまで何もできなかったことへのお詫びもかねてようやく始めることになったのです。在日朝鮮人は分断の被害者なのに、統一運動をする自分たちが見て見ぬふりをするのはおかしいと。それで何とかしなくてはいけないということで、民主労総や韓国労総、キリスト教や仏教の宗教団体や女性団体が一緒に賛同すればできるかもしれないと、ようやく動き出したのです。
金いつ頃の事ですか?
孫「二〇一三年末だったと思います。翌年四月には団体を作って、まずはこの問題を知らせることから始めようと、日本全国で繰り広げられている署名の用紙をもらってきて、各団体で署名運動をすることにしました。
その矢先に「セウォル」号の事故が起こりました。「セウォル」号で多くの子どもたちが亡くなった時に、在日朝鮮人の子どもの話をしてもなかなか響かないということで、結成が六月一四日にずれ込みました。当初はさまざまな団体を網羅した連合組織として「市民の会」の結成を広く宣伝しようとしていたのですが、そんな事情でとりあえず結成に持ち込んだというところでした。予定通り署名運動をして、日本で行われている金曜行動に呼応してソウルの日本大使館前で毎週、デモをしています。さらに大阪朝高ラグビー部の映画『60万回のトライ』の上映会を各地の団体で実施しています。さっきも言ったように、私たちは朝鮮学校を訪ねることに戸惑いがあります。そんな心の壁を取り払うためにも朝鮮学校を訪ねてみるようにしています。
署名運動は当初、十万人、百万人を目標にしていたのですが、「セウォル」号の署名運動と重なって思い通りに進んでいないのが実情です。これまで代表や団体を中心に、一万人の署名を集めて文科省や朝鮮学校に持っていきました。昨年六月と十一月には代表が朝鮮学校を訪問しました。今年二月には東京で、韓国での活動を報告する記者会見を開いて文科省前での金曜行動にも参加しました。
会って、涙したから一緒に闘える
金朝鮮学校に行った感想は?
孫「金大中政権、盧武鉉政権の頃は、朝鮮学校の子どもたちが韓国に来て芸術公演をしたりしていました。それも見に行ったのですが、初めて見たときは涙が止まりませんでした。異国でこうして自分たちの民族性を大切にしている同胞がいるんだと思うと、泣けました。あの頃は平壌に何度か行って芸術公演も見たのですが、素晴らしいとは思っても涙は出ませんでした。でも朝鮮学校の生徒たちは、植民地時代に徴用で引っ張って行かれたり、生活苦で日本に渡らざるを得なかった同胞の三世、四世です。彼らが今も差別を受けながら異国でこうして自分たちの文化を守っていることに対して、ありがたいような、痛々しいような、誇らしいような、複雑な気分でした。
日本に行って刺激されなかったら、私たちは未だに知らないまま過ごしていただろうし、そんなニュースを見ても「がんばっているな」で済ませていたと思います。日本に行って実際に子どもたちを見て涙を流した経験があるから関わるようになったと思います。昨年十一月に日本に行った一六人の女性たちも、たくさんの涙を流してきました。
金文化と言うよりは、自尊心です。
孫「そうですね。自尊心ですね。自分たちの言葉や文字、歴史を守って生きるというのは。
金どこの学校を訪ねたのですか?
孫「東京朝鮮中高級学校と埼玉朝鮮初中級学校です。東京朝鮮中高級学校には三度行きました。以前、中央芸術共演大会を見に行ったときも東京でした。昨年六月に行ったときは、生徒たちや先生たちと懇談会もして、十一月には東京と埼玉にも行きました。大阪でもコリアタウン近くの朝鮮学校を訪ねようとしたのですが、急に韓国領事館の人が出てきて取りやめになりました。生徒たちは私たちを迎えるために公演も準備してくれていたのですが。
モンダンヨンピルは各地の学校を訪ねて文化で朝鮮学校とつながっています。多くの芸能人が文化公演もしていますよね。そのためにはあらかじめ統一部に申告していかなくてはいけません。でも私たちは違う方法でアプローチしようと思っています。十一月に行く時も申告するかしまいか話し合った結果、申告しないで行くことにしました。もしもそれで問題になるようなことがあれば、そこで闘おうということです。それが私たちの役割だと思っています。弾圧を覚悟して、弾圧されてもそれに打ち勝って朝鮮学校の存在を知らせていく覚悟です、お坊さんも牧師さんも、女性たちも。
かつて学生時代に統一運動をした人たちが民主同友会という会を作っているので、彼らに分断克服と統一、平和を掲げて一緒に歩もうと市民の会への参加を呼びかけています。今後も一層幅を広げていく予定です。署名運動を引き続き行っています。日本大使館前の金曜行動だけではなく、行事をしているところに行って一緒にキャンペーンをして、朝鮮学校や在日同胞に関連する映画を上映したり、写真展を開催したりする予定です。
第十八回金曜行動の四月二四日、一九四八年にあった4・24教育闘争の記念日に当たりますが、この日に在日同胞人権週間を宣布する記者会見を開きます。その後二五日は光化門前、二六日は弘益大前でキャンペーンをして、二七日は長谷川先生(「『高校無償化』からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」代表)と加藤先生が京畿地域で、二八日は全羅北道で、二九日は釜山で、三〇日は仁川と光州で講演することになっています。二九日と三〇日にはソウルで映画『ウリハッキョ』や『航路』も上映して、日本から佐野先生(こども教育宝仙大学教授)をお迎えして朝鮮学校の現状について話してもらう予定です。『航路』は在日朝鮮人が韓国に入国できない問題を扱った映画です。KIN地球村連帯は、この問題で二年以上も闘っています。五月一日の金曜行動とメーデーに、日本から長谷川先生や加藤先生、佐野先生も参加してもらって、その後も佐野先生には各地の教会や民主同友会などで行われる小さな集会で朝鮮学校の問題について講演してもらう予定です。このような催しをするときに会場に必ず署名用紙を置いて署名を集めます。そして「子どもたち元気を出して、私たちがいる」「在日朝鮮人への差別反対」「高校無償化適用」と書いた金曜行動で使うプラカードを持って参加者が一緒に写真を撮るようにしています。これらの写真を集めて横断幕を作って次回日本にいく時に渡そうと思っています。
こうして前半は朝鮮学校の問題を知らせることに重点を置いて、後半は訪問をしようと思っています。講演を聞いた人たちが何かしなくてはと集めた署名を文科省に提出して金曜行動に一緒に参加することが、日本政府への圧力にもなります。そして何よりも在日朝鮮人だけの運動ではないということを知らせることになります。日本での闘いを韓国の人たちに知らせること、その上で日本政府に圧力を加えて問題が解決するようにすること、そして何よりも分断されていた民族が連帯することが大切だと思います。「セウォル」号も同じです。遺族だけの運動ではないと、手を伸ばした時に必ずその手を取ってくれる人がいなくてはいけないと思っているのです。
今はフェイスブックがあるので、大阪の火曜行動や東京の金曜行動についてもその日のうちに知ることができます。日本語がわからないのですが、日本の平和フォーラムで仕事をしている人が仲介役になって重要なことを私たちや日本側の方たちに知らせてくれます。
金『60万回のトライ』を観た感想は?
孫「六回ほど見ました。見るたびに涙が出ます。『ウリハッキョ』を通じて初めて朝鮮学校を知って、涙が出ました。あの映画が朝鮮学校の存在を知らせてくれたのです。監督が平壌に一緒に行けないことが悲しくて。
『60万回のトライ』を見たときは、生徒たちが勉強してクラブ活動をして、街頭で署名運動もするんですよね。何でそんなことまでと思うと涙が出たし、サンヒョンの帽子に祖国統一と書いてあるのを見て、なんで私たちはこんなふうに生きなくちゃいけないんだろうと、子どもたちに申し訳なくてまた泣けました。祖国が分断していなければ、日本にいる彼らももっと堂々と生きられただろうにと思うと、悲しいですよね。いい映画だから見てと誘った時は「なんでラグビーの映画なんか」と言っていた友人たちも、涙を流しながら「いい映画だね、ありがとう」と言ってくれます。監督たちが全州国際映画祭に来たときは、長女や仲間たちと車を飛ばして行きました。映画館の前で署名も集めて、監督には「こんな映画を作ってくれてありがとう」と感謝を伝えました。監督は胸に「セウォル」号のバッジをつけていました。壇上で、「セウォル」号の犠牲になった子どもたちも、朝鮮学校の子どもたちも、大人たちの力不足の犠牲になっている。子どもたちは皆幸せでなくてはならないのにと語って大きな拍手を受けていました。
金希望は?
孫「放棄しなければ私たちは必ず勝利すると信じています。国際情勢も変わるだろうし、平和が一番だということは誰もがわかっているので。
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