朴思柔と生徒の出会い描いたドキュメント:新しい時代に同胞つながるきっかけになれば
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ウリハッキョは「ユートピア」?
金淑子大阪朝高に通いながら、どうでしたか?
金信頼することから始まっているということ?
朴そうです。過程を経てつながったとか、契約的にとか、いつの間にかそうなったではなくて、ハッキョ全体で、人間的なもの、絶対的なものが共有されているなと思いました。それが、卒業式が行われている体育館の空間にぎっしり詰まっていたように思えました。日本の学校との対比になるのですが、日本の学校で卒業式はただの儀式で、形式的なものです。個人的には高校の卒業式の記憶は何もないですし。親たちが来ていること自体も驚きでした。これは後で朴思柔と「60万回のトライ」の編集をしながら話していたことですが、その時、若いオモニが幼い子供を連れて二階の席から卒業式を見ていたのです。たぶん妹か弟か親戚の子が卒業したのでしょうね。朝高の卒業生で、ウリマルで話しながら、幼い自分の子をまた絶対ここに連れてくると言っているシーンがありました。朝鮮学校ってコミュニティそのものなのですね、広い意味で。人間的な価値において大事な、なくてはならないものだと思います。語弊があるかもしれないけれど、それは一種のユートピアだと思ったのです。あり得る関係性としてのユートピア。それが歴史を持って何代も、いろいろな葛藤を経ながら、作られてきたものなのだなと理解する過程が撮影期間であり、編集期間であり、今もその期間にいるのです。認識が深まるごとにユートピアだということを考える。人間らしくいられるユートピアだなと思うわけです。
金この社会で人間らしくいられるスペースは?
朴限られていると思うのです。二人だけの関係とか、ごく身近な友達同士だけに。ところがコミュニティ全体がそこをベースにしている。ウリハッキョでは「一人はみんなのために、みんなは一人のために」っていいますけど、空疎なスローガンとかおとぎ話じゃなくて、現実に人間性を信頼できているかどうかということなのではないかなと思うと、同胞社会の社会思想的な背景とも無縁じゃないように思えます。
金「コミュニティ」というと息苦しさとか画一化というイメージがありますが。
朴「コミュニティ」という言葉の、足元に粘着テープを貼られるような暑苦しいイメージがウリハッキョに行ってひっくり返りました。同胞社会を見て、むしろ全く逆だと思いました。ウリハッキョの子どもたちがまぶしいのは、個性が爆発しているからだと思うのですよね。信頼の中で大きくなっている。それは花を咲かせたり大きな木になったりするときの無くてはならない養分ではないかなと思うのです。学校や組織がある目的を持って運営されるなかで、葛藤とか屈折を経ることは意義があることだと思います。親や自分の帰属しているコミュニティとの葛藤も当然あると思うのですが、コミュニティの中であらゆる信頼の中で悩むのと、そういう葛藤と関係のない浮遊した存在になるのとではかなり違う。いろんな悩みがあってもその関係の中で悩むことと、孤立して悩むのとでは悩みの質が変わってきます。
金高度成長期に在日朝鮮人の集住地は次々と姿を消していきました。コミュニティという意味で集住地と朝鮮学校には共通点が多いと思うのですが。
朴コミュニティから遠ざかることが、コミュニティを否定することではないと思うのです。存亡が危ぶまれるときに無くなることを願ったり、敵対的に考えるようになってしまったり、行動したりするようになるとしたら、それは日本社会に引っ張られているのだと思います。在日朝鮮人社会やウリハッキョが存在しないようにという方向で日本社会は常に回っていると思いますから。ハッキョになじめなかった人はもちろんいるだろうけど、それがそのままウリハッキョの否定につながるというのは、ウリハッキョの存亡にかかわることにもなるのですけれど、そこにつながってしまうのは残念で、何とかできないかなと思います。僕がハッセンたちに伝えられるのは、「アボジ、オモニうざいよね、ソンセンニムうっとうしいよね、でもね、日本社会に行ったら誰も見てくれないよと。お前のことは子どもの頃から知ってるぞという立場で君のことを見てくれるものは日本の社会にはないよ」ということだと思っています。
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